〔大川(石巻市)追想〕 昭和中期の遊びと暮し 早春


 ”ボライロ”でわかりますか? 尾の崎の「KK」さんから追波湾で繰り広げられた尾の崎、長面の”ボラ漁”の話が寄せられました。
 写真・図版はクリックすると大きく見えます。


「ボラ色」のこと      「尾の崎KK」さん

 ボライロ、ぼらいろ……。ボラは群れをなして、海面が黒い塊りになって色づくから、ボラ色でいいのかなあ。

 私の記憶では、尾の崎には木村さん(管理人さんの同級生M・木村さんの家)の船団、永沼さんの船団、長面は組合船と言っていたと思うのですが、ボラ漁に出る三船団があったようです。
 弘象山のてっぺんの、いちばん見晴らしの良いとこをイロミヤマ(色見山?)と呼んで、各船団の眼の良い人たちが色見役として選ばれて、ボラ色の季節ともなると、そこにボラの群れ発見に常駐してました。
 私の父方の祖父もその一員であった時期もありました。
 長面の「みきちじっち」(屋号”二階屋”の人?)が年々視力が落ち、いつも他の人にばかり群れを発見されるので、「くやしい、くやしい」とイロミ山の草をむしりながら泣き叫んだという逸話も残っています。
弘象山から太平洋のイロミをし、長面浦から出漁!
写真は2008年撮影のもの(竹泉ヶ岳パラグライダークラブ提供)


 群れを発見すると「ホー! ホー!」と大声で下の部落(尾の崎・長面)へ連絡します。
 それを聞いた人が又「ホー! ホー!」とさけび、ボラ色だということが瞬時に長面耕土で作業していた人達にもすぐわかる仕組み。
 船を出せる人数が揃えば、即、出漁です。「えんや、えんや、えんや」の掛け声で、櫓(ろ)、櫂(かい)がきしみます。
 田んぼや畑から馳せ参じた人のなかには、尾崎橋の上から船に飛び降りる人もあります。
 松原沖の漁場に着くと、最初に群れを発見したした人の所属船から順に、一番掛け、二番掛け、三番掛けと網を入れたように記憶します。

 あとは管理人さんの記憶どおり、松原の砂浜は修羅場と化し、なんでもありの一大イベントでした。
『長面浜、尾の崎浜の歴史を探る』から

 (せっかくなので管理人の記憶を追記=「ホー ホー」の声を聞くと、船団に関係がある人もない人も、集落のほとんどの人が鍋やバケツ、洗面器など手近な容れ物をもって、陸路、松原の海岸に走ります。
 目的は「網を引く手伝い」ですが、実際には「おこぼれちょうだい」。
 追波湾の外洋を群れをなして泳ぐボラは体長は50pぐらいあって、これが数十トンと入ってくるのだから持参の鍋やバケツに一匹二匹入れるのはほぼ公認。でもまあ、ボラはポ〜ンと海面を跳ねて網から飛び出すから、これを捕まえたと称して砂に埋めて隠したり、衣類のふところに入れたり、てんやわんやの大騒ぎ。あんなでかい魚を懐に入れるのですから、まさに修羅場でした)

 たまに色見役が、海面に映った雲の影やゴダラ(漂流物のゴミなどのかたまり)を魚群と間違えて網を入れさせ、結果、もぬけのカラ。
「ああ、だまされた。ボラ色でねーべっちゃ。ホラ色だべえ」
となることも何回もあったようで、なんかほっこりします。
 古い人の話では、魚群が長面浦の湾内にも入ってきて、湾内で操業したこともあるようです。
 大漁であれば大椀で五杯、浜甚句も飛び出し、大酒盛りになったことでしょう。
  (尾の崎の浜甚句、木遣りなどはこちらにあります)
 それにしても今思うと、ボラの値段は当時どんなだったでしょうね。水夫(カコ)たちにそれだけの稼ぎ分を与えるくらい獲れたんでしょうか。不思議です。

 (続いてすぐ、KKさんから第2信がありました。2013.11.27メール) 
 さっき外で、尾の崎のTさん(橋の左のいちばん奥、口脇(くちわき)稲荷神社の下の家=M・木村さんの別家)から少しボラ色のことを伺いました。
 ボラの買い付けは長面の沢村さん、釜谷のいさば屋さん、あと石巻あたりからも買い人が入って、トラックなどで運んだそうです。それに長面、尾の崎の部落内を小売して歩き、よく売れたそうです。
 木遣り、大漁祝い歌などは覚えているけれど、いまは歌えないそう。木遣りを上手に歌える方は昨年他界して、現在は誰も歌えないだろうとの話でした。
 
 昨年他界した木遣り、大漁唄い込みの名手というのは、管理人さんの同級生・尾の崎のS・木村さんの長兄だそうです。大漁の後の宴の席は木村さんの美声で大いに盛り上がったそうです。木村さんの父上も大漁唄い込みの名人だった由。
 この木村さんもやはりM・木村さんの別家筋にあたり、当然木村船団のカコ(乗組員)でした。私の父の実家も、私の父も木村船団でした。
                            以上

 ボラという魚は、都会の魚屋さんやスーパーではあまり見かけませんから、ご存知ないかもしれません。でも、貴重な魚なんですよ。
@高級食材カラスミはボラの卵です。
A「粋でイナセなお兄いさん」などと言いますが、イナはボラの幼名で、江戸のきっぷのいい若者が結ったマゲがイナの背びれに似ていたので、イナセという言葉ができたそうです。
Bボラは川魚のように泥臭いという話を聞きますが、外洋のボラは匂いはなく、河口のボラも締め方と皮のぬめりを処理すれば刺身でも美味しいそうです。
Cボライロの季節がいつだったか、管理人ははっきり思い出せませんが、KKさんは「田植え前の肌寒い早春」」と記憶しているそうです。
D管理人の同級生M・木村さんは愛称・ムッちゃん。元気かなあ。子どものころ、ムッちゃんに双眼鏡(イロミに使うもの?)を借りて、一日中長面浦の海鳥を見ていたことがありました。S・木村さんは愛称セッちゃん。9月に仙台で同級生諸氏と会いました。すこぶる元気。
Eネットを見ると全国各地に「ボラ待ちヤグラ」というのがあるそうですが、尾の崎、長面では外洋を見渡せるゴゾヤマがボラ待ちヤグラだったのですね。
F図版をお借りした『長面浜、尾の崎浜の歴史を探る』は、平成8年11月 河北町・河北町民文化祭実行委員会発行の冊子です。いずれこの冊子を全読めるページを作りたいと思っています。           (2013.11.28)

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