音のアルバム「大川音頭」 作詩:斎藤荘次郎  作曲:佐藤長助


 佐々木律子さんの唄 1〜5番
 
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   歌詞 1〜5番

 ハーエ 踊り見るなら ヨホホイノセ 大川村に 娘揃って コラサット 揃って ナードッコイショ 花ざかり
    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』

 ハーエ 春は萌黄の ヨホホイノセ 針岡沼に わしが釣るのは コラサツト 釣るのは ナードッコイショ 鯉ばかり
    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』

 ハーエ 二人揃って ヨホホイノセ 尾の崎橋に 影も涼し いコラサット 涼しい ナードッコイショ 夏の月
    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』

 ハーエ わしが釜谷の ヨホホイノセ 観音様へ 拝みゃ果報の コラサット 果報の ナードッコイショ 花が咲く
    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』

 ハーエ 硯上お山は ヨホホイノセ 宝の山よ 裾に大川 コラサット 大川 ナードッコイショ 長津浦
    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』

 佐々木律子さんの唄 6〜10番
 
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   歌詞 6〜10 

 ハーエ 
弘象山から ヨホホイノセ どの島みても 絵にもかきたい コラサット かきたい ナードッコイショ 島ばかり

    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』

 ハーエ 釣りで名所の ヨホホイノセ 大川村に 客がぞろぞろ コラサット ぞろぞろ ナードッコイショ 恵比寿顔
    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』


震災の年に釜谷・HT君から送られた「大川音頭」の手ぬぐい


 ハーエ 
縁起あらたな ヨホホイノセ 小鋭(おどの)の神は 村を福地に
   
コラサット 福地に ナードッコイショ 有難や

    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』

 ハーエ 後生願いに ヨホホイノセ 道はるばると まいる横川 コラサット 横川
   
ナードッコイショ 如来様

    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』
10
 ハーエ 虹がかかるよ ヨホホイノセ 釜谷の里に もみじ色ます コラサット 色ます
   
ナードッコイショ 村しぐれ

    『ソレヨイヨイ ヨイヤサット 輪になって踊りゃ みんな心もまるくなる』


                (2015.5.13)


【佐々木律子さん略歴】
・昭和22年1月1日、長面に生れる。
・昭和35年、長面・龍谷院を会場に民謡教室が発足した時、民謡の父・後藤桃水の末弟子・梶原桃峰に師事。
 翌36年長面公民館で発表会(初舞台)。
・昭和37年3月、大川中学卒業。仙台で生活のため民謡は中断。
・昭和43年〜45年、長面へ帰り結婚、出産。
・昭和46年ごろ、民謡教室が再開されて梶原先生に再師事するも中断。
・昭和52年ごろ、梶原先生に再々師事してプロを志すが父の反対で断念。
 田舎の歌手として日本民謡協会に所属、県、東北、全国大会に毎年出場。師範資格を取得。
 このころKS君の奥さんや釜谷の豆腐屋さん親子等とご一緒に活動。
・平成15年ごろ退会。しばらく歌を中断。
・平成20年ごろ、河北地区民謡民舞同好会入会、現在に至る。

*平成23年、3.11で長面はすべてが壊滅、そのショックで歌詞などの記憶がすべて失われて唄えない時期があったそうですが、その年の暮れになって同好会の仲間から「そろそろ唄ってもいいのでは?」と誘われ、大川祭りやボランティア慰問で「田舎のカス(歌手)」としてまた唄い始めたそうです。
 一時期は「唄ってもいいのだろうか」という疑問があったそうですが、皆さんの笑顔や手拍子、被災した仲間にも楽しんでもらえるのがわかって、知っている限りの歌、思い出せる限りの歌を我を忘れて唄っていますとのことでした。
 管理人の同級生SKちゃん(踊りの先生)は「律子先生はすごい人なのよ。民謡の全国大会で一等になったり、大川はもとより、雄勝、十三浜ほか、いろいろな所で教えてるのよ」と言っていましたが、やはり今に至るまではいろいろなことがあったのですね。
 現在は唄に加えて、津軽三味線、仙台すずめ踊り、縫い物(仮設から外に出る機会をと教室を設けてくれたそうです)など、けっこう忙しい生活のようです。
 また、震災前から龍谷院でつづけている梅花(ばいか=曹洞宗のご詠歌)の全国大会に今年も出場したり、地区に昔から伝わる「孫舞」の復元に取り組んでいるそうです。    (管理人 2015.6.19)

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作詞者、作曲者についてネットを見てみると、次のような情報がありました。(2015.5.13)

斎藤荘次郎=明治二六年河南町生まれ、昭和五六年没。石巻市北村小の校長を長く務めた後、県会議員三期一二年。この間、郷土の教育・地域づくりに献身した。徳富蘇峰、土井晩翠など文人とも交流があり、小中高校の校歌の作詞や町村の音頭の作詞にも多数関わっている。「県立自然公園旭山」を開発したことでも有名。

佐藤長助=明治三九年仙台市生まれ、昭和五八年没。陸軍戸山学校軍楽科を首席で卒業。除隊後はキングレコード専属作曲家として楽壇に進出。戦後はNHK仙台放送管弦楽団の指揮者をつとめ、宮城県警察音楽隊を創設したほか、東北各地の学校校歌、自治体の歌、地域行事の歌などを数多く作曲した。


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