●草笛のこころ
「佐久の草笛」(昭和39年4月文化放送「録音風物詩」から)  祖道師のお話と草笛
(06:50)

お話の内容
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ナレーター 民謡風物詩の時間がまいりました。ではさっそく今日もお仕事前のひととき、各地の郷土色豊かな季節の話題と民謡をお送りいたしましょう。この地方の風物詩、「佐久の草笛」をお送りいたしましょう。
草笛の音=「初恋」
 信越線小諸駅の裏手にある小諸城址懐古園、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」という詩碑のかたわらで、一人の雲水が草笛を吹いています。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 あのー、私は少年時代、藤村の本を読んだり「千曲川旅情の歌」などで、小諸というところ非常に憧れていましたから、いっぺん浅間山を見たいな、千曲川を渡ってみたいなって、小諸に一晩ぐらい泊ってみたいなって、そういうように思ったことがあるものですから。あの、丹後山の方から信州へ移るときはね、藤村の信州へ行くような気がしましたね。
(注=昭和23年に佐久・貞祥寺に安居した時のこと)
 で、藤村の碑の前で、むかし北上川のほとりで草笛を唄ったことを思いだして、藤村先生に(手向けるのは)私は坊さんだからお経だろうけど、お経よりも藤村先生には草笛の方がいいなあと。ここには「うたかなし佐久の草笛」という一節もあるからって。それでそのへんから葉っぱを探して唄ったわけですね。

 千曲川旅情の歌は知っているけれども、それが曲になっているということはまだ知りませんでしたね。それで「椰子の実」ですね、これは国民歌謡になって誰でも知ってますからね。「椰子の実」を一曲唄いましたら、そこに居合わせた旅の人たちがよろこんで、よろこんでね。いい思い出になったってね。
 よろこぶのはね。そこに旅情の歌の碑があって、佐久の草笛という詩碑があって、バックがいいでしょ。自分たちもバスの旅というので、それで非常に喜んだのでしょうね。それからバスの旅の人たちに坐禅を紹介したんです。

 そのときにね、ああ、ここで草笛唄ってあげたり、ここで坐禅組んだりしてね、坐禅がどういうものか聞きたい人がいればちょっと話したりする、それが私のほんとうの生き方ではないかと思いましてね。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ナレーター 横山祖道さんは宮城県北上川のほとりで生まれ、昭和12年31歳で出家しました。そして全国行脚の途中で立ち寄ったこの懐古園の風物に魅かれ、昭和33年3月からここを訪れる人に草笛を聞かせています。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 草笛というのは、誰が唄ってもなんとなく音色が物悲しいところがあるんですね。藤村もそういうところを聴いて、しみじみ物悲しいところを「うたかなし」と言っている。長野県の佐久という地方だから「佐久の草笛」とこう言ったんでしょうね

 だいたい三月ですから、普通の草とか木の葉はない。でも、なんでも鳴るんです。やっぱり一般にはマサキという家の青い垣根ですね、あんな葉っぱを取って唄うのが定法ですね。誰でも何んかの葉で唄ってました。カシの葉とかいつもある葉で唄っておりましたね。
 私も古里で大きな子が唄っているのを聞いて、自分もやってみて覚えたんですけどね。最初はなかなか鳴らなかったですね。

 いまから思うと十六、七年前に、旅情の歌を碑の前で草笛を唄ったら、みんなが喜んだわけで、それなら唄ってやろうと、こういうわけで大人になっても唄っているわけです。ふだんなら大人になれば忘れておるもんなんです。

以下、流れる草笛は「千曲川旅情の歌」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ナレーター  浅間連峰にはまだ雪が消えずに雪が残っていますが、ふもとではもう青い麦畑で、春の農作業が始まっています
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 「あたたかき光はあれど……」これは私いつもここにおるけれども、風のない日だったら冬もやや「あたたかき光はあれど……」ということは云えますけどね。しかし、風が寒いですね。風があったらもう寒いです。風があったら四月になっても五月になっても夕方になると冷えますね。それにここは千曲川川風が上がってきて、ものすごく冷えますね。

 旅情の歌の「あたたかき光はあれど」というのは、やはりたった一人で、旅情の歌は風のないお天気の日だとすぐここでわかりましたね。三月十日前後のお天気のいい日だと。その時でしたら
   「あたたかき光はあれど 野に満る香(かおり)も知らず
    浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し」
 これはまったくこの通りで説明のしようがないと思いましたね。藤村はいみじくもね、うまいこといったと云えば、うまいこと云いましたね。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ナレーター 出家したとはいえ、郷里からの仕送りのほか、「千曲川旅情の歌」や「初恋」の楽譜を写筆し、志をいただいて坐禅や草笛に一日を過ごすという横山さんの気ままな生活ですが……
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 今もこういうことをつづけているわけですけど、ま、一生こういうことして行こうという覚悟なんですけどね。
 まあ、このごろようやく私がここへ来た目的を達したわけですね。草笛をこうして名目を立ててね。自分がいやでも何んにしても、聴きたい人には聴かせてあげたいとか、こっちからこの人たちに草笛を耳に入れてやろうと思って、疲れておっても手伝うとか、そんなことして「我」というものをとっていくわけなんですけど。

 今ようやく「無我」というものになれば、草笛唄う一人の私という人間というよりも、蓄音機みたいになってね。これは蓄音機だから良いも悪いもない、いいってほめられたから蓄音機が自慢するわけでもねし、つまらねと言われたって蓄音機ががっかりするわけでねがら。
 機械をかけられれば鳴るようなもんだから、毎日、夜が明けて時間になったら――今は寒いから十時ごろですけど、夏になれば早く来ますけどね――十時ごろから夕方の四時過ぎくらいまで、蓄音機と同じように唄っておればよいと……。

 ま、これは、ここに来たおかげで、こういうことになったわけで、小諸というところは、たいへんありがたいと思っているわけなんですけどね。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ナレーター ときおり千曲川の川風が吹き上げる丘の上、いまではすっかり懐古園の名物になった草笛が、今日もここを訪れる人びとの旅情を慰めています。
 今日は長野からこの地方の風物詩「佐久の草笛」をお伝えしました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

*昭和39年3月に録音され、同年4月10日に文化放送(JOQR)で放送された「録音風物詩 佐久の草笛」という番組の録音です。当時、マスターテープからレコードに録音されたものが先師老師の許に送られてきたようですが、経年劣化のために割れや傷がひどくなっており、お聞き苦しい点はご容赦ください。 (柴田誠光)


HOME  目録ページへ戻る