遺影集 太陽山青空寺(その一)
藤波の花咲く下に咲いている山芹の黄なる花うつくしも 祖道 |
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旅人にのばら匂へりこもろなる古城のほとりのばらさきゐて 祖道 |
旅人はまたよく私に何宗ですかお寺はどこですかなどと聞いて「そうか太陽山青空寺か」とうなづきます。旅にして聞く太陽山青空寺はたしかに旅人にとっての喜びのようであります。これがまことの旅心、人の本心ならば、我太陽山青空寺は
古里の夕焼けうるわしきがごと万象うるわし
であり、この私に「ヤミ」なるものなかりせばまたこの人の世にも「ヤミ」なるものなかりせば、み心の天の如く地にも成るもの――然も直ぐ成るものであります。
昭和四十九年十二月十八日 信州小諸にて
七十路を佐久のわらべとおもいなすおもい安けきささやぶのもと
*横山祖道『十九の春』より
懐古園で草笛を吹く坊さんとして知られているらしい横山祖道老師は、つぶした段ボール箱を地面に敷いて、その上に座布団まがいのものを置き、
「さァ靴をぬいでお座りください。ここは、私の竜宮城ですよ。そうして私は浦島太郎」
(中略)
「自分のいる所が一番いいと無条件に決めれば決まるからね。比較して決めようとしたら決まらない」
「仕事も、自分の仕事が一番いいと決めれば決まるからねぇ……ではお茶を入れましょう。ここで喫むお茶はうまいですよ」
「では、湯が沸くまで」と皿のなかに浮かべてある木の葉一枚をとり……
(中略)
「初めは、松の木の下で紙敷いて坐禅したり、草笛吹いたりしていたんだがね……自然にこうなったんだねェ。場所もここにくるまで六、七年かかった。
*井上球二著『異色快人物漫訪』宗教求道者編(大法輪閣)から抜粋