托鉢に出でてゆきつつトラックに我かけられし我裾のどろ  祖道

 雨上がりの秋の朝、托鉢に出でてゆきつつ鷹ヶ峯の道、松野さん(お醤油屋)の前でトラックにすっかり泥をかけられた。トラックは人にこんなにどろをかけても、ごめんやすとも何とも云わずに行って了う。実に不都合だとはらだたしくなり、泥だらけの裾を見て私思わず「トラックのわれにかけたる我裾のどろ」と云った。歌からすればこれで半分以上歌になっているのである。そうすると私はすぐ三十一文字になるのであるがおかしい。すぐ歌らならない。
 やや歩いてゆくとやぶの前に一軒お店がある。その前通るとき「そうだ、これはトラックを悪者にしているから歌にならないのだ。私が悪かったのだ。よけどころがわるかったのだ。それでどろをかけられたのだ。これはトラックの我にかけたるではなかった。トラックに我がかけられし我裾のどろだった」と気付いたら、そのまますぐあり目通りの歌となった。全く何の技巧もいらない「托鉢に出でてゆきつつトラックに我かけられし我裾のどろ」。
 私とてもうれしくなって、初めはこれではとても京都の町へ下りてゆけないと思った我裾のどろも、何でもなくなった。どろはひとりでにかわく、そして托鉢しているうちにどろはひとりでにおちてしまうだろう。他を悪者にしたら歌にならない。人生にならない。之がはっきりしてうれしく、心いきいきとなり、私いそいそと千本北大路(電車通り)へ下りて行った。

              
横山祖道著『我立つ杣』〜鉢の子〜 より
 


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