信濃の佐久・貞祥寺での参禅会 (前列中央は沢木老師、その右貞祥寺岡本大鵬方丈、左祖道師)
「坐禅は坐ればもうそれでよい。坐禅が坐禅で坐禅なのだ」 沢木老師 註 右を繰り返して簡単に言えば「仏道とは坐相が非思量であるということを信ずるものである」。坐禅して人間が無念無想になるのではない。坐禅して坐禅の形が無念無想だということを信ずるのである。 祖道 横山祖道著『我立つ杣』〜発願利生〜 から
HOME 目録ページへ戻る