色紙集(二) 先師(さわき)老師
只管打坐
坐禅は仏(さとり)にもあらず凡夫(まよい)にもあらざるものなれば 唯精一杯坐るのが安楽
安楽乃法門
精一杯やったのが安楽である これは秘訣ですぜ
先師(さわき)老師 祖道
沢木興道老師のことば (総持寺夏期参禅会にて『坐禅用心記』を提唱し給える折)
〇一匹でも龍ならよい象ならよい。
〇質をよくする、これ曹洞の建前。大祖大師又質を重んず。
〇何事もまぎらかしで満足出来るならそれは楽なものさ、安っぽいものさ。
〇人は春がきたらばと思うだろう、しかし春がきたって大したことはない。
妻ほしいと思うだろう、しかし妻をもらってみたって大したことはない。
〇宇宙と波長を合わせるのが坐禅であり、これが自分を仏に等しくするのである。
〇本当に大切なものは何か、中外にほどこしてもとらず、古今に通じてあやまらぬとは何か、それは心身脱落。
「一切のとらわれがなくなり山が人を見たようなもの」
横山祖道著『我立つ杣』(総持寺にて) から抜粋
先師古佛道く |
伝法 |
唯色人間超越 |