斎藤宗績(さいとう そうせき)翁
熊本市で小児科医院を開業、県立熊本高等学校(旧制熊本中学)の初代同窓会会長。
沢木老師の熊本時代に参禅し「興道禅」の奥義を体得。
歌人であり、書家。ちなみに「我立つ杣」のカバー表紙は、斎藤宗績氏の和歌と書、それと絵によっている。
昭和17年、祖道師が老師の命により熊本市郊外の海蔵寺に赴いたのが縁となり、歌を詠みかわし「興道禅」の奥義を語り合う道友となる。祖道師は“熊本の翁”と命名し道友というより師と呼ぶほどに崇敬していた。
祖道師は熊本を離れてからも斎藤翁に書簡の形で修行の消息を送り、翁が整理・浄書されて「我立つ杣」に結晶した。「我立つ杣」は「興道禅」を参究し合った両人の共編ともいえるものである。
昭和48年死去。
(『我立つ杣』 畠山文雄氏の注から)
斎藤宗績氏の和歌
うらやましたてなるいとのひとすじに心しづめて行きかえるきみ
百草の葉末をわたる秋風に心をすます松の下蔭
露を重もみ道べにふせる草むらのつゆにひかるるきみのこころか
この杜のうちばかりにぞ世に絶えし法の燈はかがやきてある
鷹峯と名こそへだつれ古の仏のみ座もかくはありけむ
古へのひじりがなせるみすがたをさながら今に後の世までに
三つの山朝夕見つゝ三つの世をあきらめぬれどかなしうきよや
をのづからしらですぎゆくたび人も三世のゑにしのひけはなからむ
丘の上の人目もかれしこの里にうき世をひさぐ店の人かな
木の葉もる光落つれば古池にしづめる龍の鱗見えなむ
「我立つ杣」の表紙、中扉から
「我立つ杣」の表紙に使われた斎藤宗績氏の書と画