渋谷光明 先生

 京都市の小学校長など歴任、作曲家。

 昭和25年、縁あって祖道師と知己となり、それまで祖道師が詠んで自ら曲をつけた歌曲の校正をした。
 祖道師にとっては音楽の先生であり、これ以後、歌曲づくりに精を出した。澁谷先生は
「元のメロディーは祖道師でなければ作れないメロディーだ」といい、祖道師は
「渋谷先生は私の心を感得して、デタラメな曲を完全な曲にしてくれた。先生なかりせば安泰寺歌曲集はなかったろう」と述懐していた。

 以下は『光の野』に書かれた祖道師の文。

「 きのう生れたての小さい可愛い
          みどりのかまきり見ぬ
  けふも生れたての小さい可愛い
          みどりのかまきりを見ぬ
  ふるさとに遠き肥後の野に
          かまきり生れぬ

 この歌の曲を渋谷先生に見て頂きしに先生はこれを完全な曲にして下さり、私に歌って下されました。その折こう申されました。
 “この曲を誰が作ったとか、誰がそれを直したとか、そんなことはちっぽけな問題である。ただかかる歌詞と曲があればよろしいので、今ここに、この歌と曲とを前にして二人が斯うしているのも、かかる一つのかまきり生まれぬである”と。
更に先生は私に“これはたしかに”天地創造のうたであるといわれ、私が何のためにこのうたに曲をつけたのであるかといわれ、私の心をおわかりになられてから次のように申されました。
 “なんでもいいから、それはでたらめでもいいから、本当に思ったことを書いてさえおけば音楽家は、それを見れば作者の気持ちがわかる音楽家は、たとえ頼まれなくてもそれを正確な音楽(曲)にする義務がある”と。
 澁谷先生はかかる立場に立って、私のでたらめな曲をみな正確な音楽にして下されたのであります」

●渋谷光明氏のうた
「ふるさとはなつかしきかな」
   古里はなつかしきかなふるさとのうたをうたはむそこはかとなく
  ふるさとはなつかしきかなふるさとの歌をつくらん心静かに

   ふるさとはなつかしきかな古里のうたをうたはむ青空のもと
         
「ふるさとのうた」(祖道)によせて

「乙女ゆく」
  乙女ゆくあざみ咲きし道よ草枕たびの我道山陰の道
  草枕旅ゆゑ草はさみだれに緑しとどに濡れてけるかも
  五月雨に水ものすごき保津川は岩つゝじの花うれしくあるか  


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