3 「兄を見た人は最後まで現れず……」   カナダ・トロント M(T)Kさん


メールを頂き恐縮です。 私はTT商店の5番目の娘です。
今回の津波で長兄のT、奥さん、長兄夫婦の長女(私の姪)50歳と長兄のひ孫(当時1歳半)の4名が亡くなり、もちろん家、店、ガソリンスタンドそして、実家の真向かいにあった長女の息子の家も跡形も無りません。

同級生では尾崎一人、長面は二人、針岡三人、釜谷一人の計7名が犠牲になりました。 
トロントではNHKの国際放送が毎日ありますので、毎朝日本では9時のニュースを朝8時にみることが出来、3.11もちょうどスイッチを入れましたら、名取の仙台空港の津波のシーンが放映されていて、これはひどいことになっていると。。。
すぐに実家のことが心配になり連絡しましたが、もちろん音信不通で その後、グーグルの探し人に兄家族の名前や大川に住んでいる同級生の名前、従兄弟の名前を手当たり次第に書き込みをしました。 兄を見たという人は最後まで現れず、だんだん望み薄になり、本当にどうしてよいのかわからずにいました。

それからは、トロント在住の被災者家族の一人ということで、地元の新聞、テレビ、色々な国の募金集めイベントでスピーチ、 自身も募金集めでおにぎりイベントを立ち上げて、着物姿でおにぎり販売です。 
中には一個のおにぎりを50ドル(4,300円位?)で買ってくれる人もいて3回のイベントで150万円ほどを赤十字社に届けることができました。 

5月と7月の二回帰国して実家跡を訪れました。
7月の帰国は4名のお葬式に参列するためでしたが、お骨は二人分だけで 兄とひ孫の二人は以前として行方不明でお骨は無く、本当に複雑な思いでの参列でした。
ご近所の、一命を取り留めたが奥様の手を離したばかりに未だに行方不明の奥様のことを悔いておられる人、迎えに来た消防の車に別々に乗ったご夫婦の一方は助かり、一方は亡くなるという話しを聞いたり、 福地に嫁いだ妹の夫と息子は地元の消防団員で、彼らの釣り船を出して、初めて大川小学校へ行ったときのことも話してくれました。山のふもとや橋のたもとに大勢の小さい子が重なり合っていた光景に声もでず、息子は家へ帰ってくると泣いていたといいます。

話したいことが一杯あるのですが、こうしてメールを通じて同郷の思いを分かち合えることは本当に救いになります。
来年3月11日前後に35年度卒業生の追悼同級会を計画進めています。釜谷にあった たけとり旅館の息子さんが幹事で奔走してます。
もちろん、東京にも滞在しますので、出来ればお会いして色々とお話しをしたいですね。また、何かお手伝いができることがあれば何なりと申し付けてください。


【第2信】
兄、Tは76歳でした。 10月には77歳になるのでお祝いを計画していたということで残念です。
兄には娘が二人おりましたが、長女は一緒に犠牲になり、もう一人の娘は谷地に住んでいて無事でしたが、彼女は一挙に両親とたった一人の姉を亡くしてしまい、彼女の喪失感を思うと胸が痛みます。

福地に嫁いだ妹は兄夫婦が多岐に渡り、相談相手でしたので、地震、津波の恐怖はもとより喪失感も大きかったろうと思います。

一瞬で全てのもの、家族、友達、仲間を失った被災者の気持ちは決して現場に居合わせなかった人たちには実感としてわからないことだと思います。
こうした被災者が PTSD(心的外傷後ストレス)を発症するケースは大変多く、今後を懸念しています。 現場にいあわせなかったこの私でさえ毎日のようにあの実家跡、長面の光景が目に浮かびます。自慢の故郷が一瞬であの光景になるとは誰が想像したでしょうか。

この自慢だった故郷を後継するためにも、何らかの形で残したいと思うのは私だけではなかったと、オリオン311を読んで嬉しく思います。
そして、私の一年後輩の堀込(旧姓高橋)光子さんが 『海に沈んだ故郷』という本を出版したことも 朗報のひとつです。 (まだ読んでませんが)

今後とも何かニュースがありましたらいつでもお知らせください。
それから、これはお時間がありましたらですが、グーグルで「故郷からの小包 (3月23日)」 を検索してください。 私が河北新報のフラットに乗せた記事です。 
M(T)K


長面のTT商店はずいぶんお世話になったお店です。むかし、カミさんと子どもたちは夏休みのほとんどを爺ちゃん、婆ちゃんのいる松原の実家で過ごしたので、日常の品々はだいたいここ。店内は女性の方が応対されましたが、ガソリンや灯油はТさんがやってくれました。あのТさんご一家が……。
 掲示板にM(T)K
さんの書き込みがあったのは12/4。ちょうど管理人が長面方面から帰った時だったので少し驚きました。。(松原A)

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