5 「ばあさん一人置いてきたから、帰えんねがね」  STさん 石巻市長面
NHKテレビ 平成24年5月20日放映 『証言記録 東日本大震災D 「宮城県石巻市」〜北上川を遡った大津波〜』から


大川地区を襲った津波と被災の現実を、長面を中心として釜谷、間垣の方々の証言でつづった優れた番組だった。
85歳のSTさんが津波の水の中を、家に置いてきたの妻の身を案じて徒歩で進む2日間……。
情感にあふれた証言に胸を打たれました。一部を再録させていただきます。



*飯野川のスーパーで地震に遭ったSTさんは、急いで長面の家に向かって車を走らせた。
≪ウヂ(家)さ、ばあさん一人置いだがら、帰えんねがね(帰らなくちゃならない)という気持があったので、そのまますぐにね、家さ帰ろうと、必死に長面のウヂさ走った

*長面へ向かう途中、北上大橋の上流2qぐらいのところ(谷地のあたり)で津波を目撃した。
≪津波、来てねがな、と思って見たいば、来てやんでねぇの(津波が来てないかなと思って(北上川を)見たら、もう来てるじゃないの)
波の塊だな。波というより、こう(両手を胸の前でぐるぐる回して)、巻いて来てるんだ。そいで巻き込むとき、前の水をみな集めんだっちゃ(集めるんだね)。そんな形なんだよ。
おっかねもんだ、まったく。
して、皆「水って青いもんだと思ってたが、黒いんだよ」って言ってるよだが、ほんとうなんだ。黒い水の塊なんだ≫

*間垣の堤防が津波にのまれているので、針岡をまわって長面へ行こうとしたが、針岡も冠水して動きがとれず、やむを得ず高台の集落で1泊した。
≪家内を(長面に)置きっぱなしにしたんだが、どごかで助かってねべか(助かってないだろうか)と。どごさか避難して、部落の人と一緒に避難しているんでねがと思って。そういう思いだけで長面さ向かったんだ≫

*翌朝、あたりは一面冠水したままで車は走れない。長面へと歩き始めたが、道路が水没していて足元がわからず、何度も踏み外して、全身ずぶぬれになった。
≪倒れだ家から杖になりそうな棒切れを選んで、両方の手で握って(水の中を)突いて、ここだら大丈夫だなと思うところさ足ついて、んでまた、こう突いて、浅いのこっつ(ち)だなと、ほいな(そんな)感じで。
ンだから時間かかったわけよ。簡単に道路があって行くんでねがら。水があってガレギがあって、そいづを越え越え行くんだがらね、たいへんだった≫

*途中の集落(入釜谷?)でさらに1泊。ようやく釜谷を目にしたのは3日目、3月13日だった。
≪ここまで(三角地帯)来てね、あーウヂ(家)一軒もねー、と。あーあいづ学校だな、と思った。
そのとき、ここに子どもたちが流されていで、一人のお父さんが「ウチのなんだ」ってね、泣いでやった(おられた)。学校の校庭から流さい(れ)でね≫

*113戸、すべての家屋が跡形もなく流されていた釜谷を過ぎて、ようやく長面まであと2qの地点(釜谷の墓地あたり?)までたどり着いた。
≪あの山(ゴゾ山)の先と、あっち(十三浜)の山の間に、松林がねけねばねぇわけだ(なくちゃならないはずなのだ)。そしたら、そごにひとつも(まったく)松林がねぐ(無く)なってる。
ああ、こいでは長面の街もねぐなったと、部落ねぐなったと……。
何か残っているもの、あればね。オレの家内ばってなく(ばかりでなく)、その辺に隠れっとこあれば、助かってる人もあっかなと思って来たんだけっども、何んにもないの……。
んだから、あきらめた……、うん≫

STさんは、その後1年あまり奥さんの遺体を探し求めてきたが、今年4月、法要を営んだ。
≪おそらく見つかんねかもわかんねんだ。んだげんとも、あまりほんなにね、思いすか(思いとい言うのでしょうか)、思いをナニしては浮かばれねなんて昔の人達言うがらね。
あまり普通以上さ(には)固執すないで、供養してやろうと思ってね≫


85歳のSTさん、管理人が長面に住んでいたころのナマリそのままに証言されていて、それがとても美しく心に響きました。あえて発音通りというか、私の耳に聞こえたままを採録しました。( )内の注釈はない方がいいような気もしますが、どうでしょうか。
MSさんからの便りで、STさんの屋号は「豆腐や」だと知って、ああと思い出しました。
わが家ではけっこう頻繁に「とうふや」の名が出ていて、なにか身内のような気がしてました。もっとも、長面という集落のほとんどが身内のようでしたが。

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