TOP はじめに 大川村の位置と地図 ふるさと写真集 忘しぇねがらね 津波そのとき 学校のこと はなし語りしすべ LINK

(DIARY) 2017年2月~

2017
2017年分はこちら 2016年分はこちら 2015年分はこちら 2014年分はこちら  2013年分はこちら   2012年12月~2011年7月はこちら


■7年目の命日 語らいのある慰霊碑

 ●間垣慰霊碑建設実行委員会報告書から
 間垣慰霊碑の実行委員会・ヒトボさん(遠藤仁雄氏)から実行委員会の第14回報告書が届きました。
 今年の3月11日は、間垣の慰霊碑が完成(昨10月1日完成)して初めての慰霊祭になりますが、当日の予定は次の通りとのことです。
  日時:平成30年3月11日(日)午前10時
  場所:間垣慰霊碑前
  持ち物:花と線香は実行委員会で用意
  作業:慰霊碑の掃除とお参り
 間垣のヒトボさんは3.11でご両親と奥さまを亡くされましたが、愛郷心のあふれる方で、中学校の裏山後に自宅を再建し、傍らに大川の方々や出身の人たちの語らいの場として食事処「まがき」と簡易な休憩所を設けています。慰霊碑とはすぐ近くなので、「語らいの場つき慰霊碑」ともいえ、多くのことを語り伝える理想的な慰霊の場になると思います。ヒトボさんは今後もいろいろ考えてやっていきたいとおっしゃっています。
 右の報告書には当日の駐車場案内や行事の後の「お茶っ子会」 のおしらせ、今年の今後のスケジュールがありますのでご覧ください。

●NHKスペシャル3月4日、夜9時から
 右の報告にありますが、3月4日(日)夜9時から全国放送のNHKスペシャルで「死角! 河川を遡る津波」(仮)が放映されます。間垣に慰霊碑が建てられたのを機会に、海岸から離れた間垣でなぜ壊滅的な被害が生じたのかという問題を探った番組のようです。ぜひご覧ください。          (2/22)
 

■ビックリ それは私です
 ちょっとビックリ。東京在住のTさんという方から、「それは私です」という嬉しいような楽しいメールをいただきました。義父さんが釜谷のご出身で、大川小学校の並びにお住まいだったそうです。何度も遊びに行っていた大好きな大川の写真などを探しているうちにオリオンに出会い、釜谷の街並みの写真に父上のご実家とTさん自身が撮られた写真を発見したということでした。

 その写真は「ふるさと(旧大川村)写真集」(こちら)の「釜谷」に載っているのですが、少し下の方にKY君MUさん提供の釜屋の街並みの写真2枚があります。その一枚、釜谷のメインストリートを逆方向から見て、三角地帯への坂が突き当りに見える写真の手前左に植物を植えてある家が父上のご実家。また、釜谷の町裏付近で 遠くに北上大橋が見える風景には人物が映っていますが、「ここに写っているのが自分です(笑い」とあり、「KY君MUさんがご提供された写真の撮影者です」とありました。

 KY君MUさんご提供の写真はほかに2枚あるのですが、たぶんこれもTさんの撮影だと思われます。これらの写真ページを作ったのはずいぶん前で、当時は震災前の写真が少なく、同級会のときに何かあったら貸してねとお願いしたところ、同級生のMUさん(横川・市川市在住)が親戚だったか友人だったかのKY君に借りたものということで送られてきたものでした。
 ご関係の方の目にとまってほんとうによかったです。
 Tさんは「大好きだった故郷がなくなってしまった事を忘れて欲しくない。そして、二度と犠牲者を出したくない、これを後世に伝えることが自分達の使命なのかなと思っております」とおっしゃっていますが、父上は大川地区「記憶の街」模型復元プロジェクトの仮設置式典にもご参加されたそうです。

 Tさんが大川で遊んだのはいつ頃のことでしょうね。写真や思い出がありましたらぜひお寄せください。
 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。           (2/21)

■パソコンの動作確認です
 2月も下旬になりました。今日は東京はようやく少し暖かいですが、また明日から寒くなるようです。皆様いかがお過ごしでしょうか。もうすぐ春が来ると思います。どうぞお気をつけて。
 特に新しいお知らせがあるわけではありません。パソコンの切り替えに伴うあれこれで、まだオリオンへの記事のアップができるかどうかのテストをしているところです。お知らせしなければならない「つぶやき集」の完成時期ですが、編集の関係でまだメドがたっていません。でも必ず完成させますので、もうしばらくお待ちください。たびたび遅延のお知らせばかりで申し訳ありません。「つぶやき集」の内容や遅れのお詫びなどについては昨年末のこちらをご覧ください。 
 なんとかまだオリオンへの情報アップはできるようで、メールなども大丈夫ですので、なにかございましたら連絡をください。ともかく「つぶやき集」のお約束が果たせるまでは、まっとうなオリオンの更新はできないなあ、という気持ちでおります。啄木はある約束を果たせなかったことを「狂せんばかりの地獄」と表現したそうですが、私も鈴木惟司さんも、同じような気持ちでいることを先日電話で話し合いました。      (2/22)

■大雪とか寒波とか
 東京の今朝は、積雪が20数㎝もありました。私も10時ごろ駐車場に行ってみたら、ご近所の方々がもう始めていて、少しでしたが手伝いました。東京から長面に帰る時は必ず通る山手トンネルで、10時間も立ち往生なんてニュースもあって、都市の脆弱さを痛感します。この雪は田舎はどうなのかなと心配していますが、石巻・仙台あたりもけっこう降ったようですね。次は寒波のようですが、どうぞお気をつけて。
 白根山が突然噴火したり、アラスカ方面の海でマグニチュード8とかの地震があったり、日本のどこでもいつ何が起こっても不思議じゃありませんね。針岡のKSさんに見せていただいたスクラップブックの中に、東日本大震災クラスの津波がいま全国を襲ったら、居住禁止区域が30%か何かで、何百万世帯が被災するというような記事のあったことをいつも思い出します。
 それはともかく、“突然”というのはほんとに困ります。正月以来あれこれバカバカしいことが次々に起こって、それに1月中にどうしても片付けなければならないことがあって、こちらをしばらく放置してしまいました。
 まずテレビが突然ダメになったと思ったら、今度はパソコン。ワードをゴチャゴチャいじっていたら、保存もプリントもできなくなりました。幸いメールやネットの閲覧は可能で、オリオンの更新も今のところ大丈夫ですが、いつクラッシュするかわかりません。もしかするとまたしばらく音信不通になるかもしれません。できるだけそういう事態は避けたいと思いますが……。
 体調の方は腰の状態はだいぶ良くなったのですが、別の問題がこれも突然出てきました。テレビもパソコンも10年弱でダメになったのですから、76年間も休まず働いてきた部品の一部がちょっとぐらいおかしくなっても不思議はないですね。人体というのは驚異的なものだと思います。 プライベートなたわごとですみません。      (1/23)


■10日になってしまいましたが

 ずっと気になっていて、松の内になんとかしようと思っていたのですが、分浜・高源院ご住職(大崎市松山眞源寺住職兼務)の齋藤政裕師から送られた昨年夏ごろのお便りをご紹介します。

   

 曹洞宗の梅花流ご詠歌の機関紙『みやぎ梅花』の表紙を、師が10数年前に長面の松原で撮ったフクロウの写真が飾っています。師は声明(しょうみょう)の名手で、梅花流特派師範で全国を駆け回っていましたが、現在は松山の眞源寺と分浜の高源院住職も兼務しているため、特派師範は退いているそうです。この写真と文のシリーズは10年以上続けているそうです。
 右の写真をクリックすると文も読めると思いますので、ご覧ください。
 なお、齋藤政裕師は松原・東光園の日本画家・永沼夢郷さんのお孫さんにあたる人で、分浜・高源院の襖に描いた成道図の賛の詳しい解説もいただきました。こちらもどうぞご覧ください。   (1/10)

■新春のお便りあれこれ
 あけましておめでとうございます。私自身は震災以来、なんだか無常感みたいなものにとらわれて翌年から賀状を失礼しているのですが、それでも新しい年を迎えると皆さまから楽しいお便りがぽつぽつと届きます。以下、新春の雑談をお届けします。
●Old間垣Boyさんのデジタル賀状
 名取のOld間垣Boyさんからオリオンの再開を祝うデジタル賀状がとどきました。Old間垣Boyさんは小学校時代を間垣で過ごされた方で、ジオラマの作成などにも当初から協力いただいた愛郷心あふれた方です。少年時代の思い出がこちらにありますのでご覧ください。
 賀状には
 「停止状態が延々と長引き、よもや、状況の悪化では? と、気にかけておりました。が、年末ギリギリのアクセスで杞憂であったこと判明いたし、安堵した次第です」とあり、右のカードが添えられていました。
 かーどには「冬の星座」の歌詞が書かれ、オリオン座の近くにスバルがきらめいています。その意は「オリオンのそばにはいつもスバルもあって、双方がさざめいている」というメッセージのようでした。

●AK君の10000歩
 一昨年、私が軽い脳梗塞を起こす少し前に、大川中同級のAK君が脳梗塞を起こし、去年の同級会でも会えませんでした。そのAK君から「毎日の散歩が日課で、午前午後の10000歩です」というメールがありました。彼とはとても気の合った友達で、教室の廊下や軟式テニスでいつもじゃれあっていました。
 それにしても10000歩というのはすごいですね。私は「今日はずいぶん歩いたな」と思う日でも、2、3000歩ぐらいです。もう少し動かないとだめですね。

●「世界は日の出を待っている」
 敬愛する長面の先輩AIさんと数年前に60年ぶりぐらいに会いましたが、そのとき「毎年元旦にはジョージルイスの“世界は日の出を待っている”を聴く」という話を聞きました。私もジョージ・ルイスのその演奏が大好きで、私もAIさんも同じレコード盤を持っていることが分かったので、毎年二人で同じ演奏を聴く思いでいました。
 ニューオリンズ・ジャスバンドの面々はリーダーのジョージルイスをはじめ、皆よれよれのお爺ちゃんなのに、いったん楽器を持つとシャキッとしてものすごいエネルギッシュなデキシーを演奏します。
 昨年の7月、私がいちばん落ち込んでいた時期に、北斎が70代後半から本領を発揮し、80を超えてから信州・小布施に赴いて大きな仕事をしたと聞いて、元気をもらいに同地の北斎館に出かけてみました。あまりに暑い日で、ぐったりしてしまったが、それにしてもすごい人だなあと思いました。
 ニューオリンズ・ジャスバンドの面々は、きっと北斎みたいな人達だったと思うくらいエネルギッシュなんです。で、今年も「世界は日の出を待っている」を聴きましたよとAIさんと妹さんのFSさんにメールしたら、なんとFSさんから
「ジョージ・ルイス、懐かしい名前です。たしか60年代後半、仙台労音の企画だったと思いますが、ジョージ・ルイスとニューオーリンズジャズ」のコンサートに行きました。終了後、図ずしくも楽屋まで押しかけて挨拶し、握手をしました。大きな手なのに長くて細い指でした。指の色も覚えています」というメールが返ってきました。
 すごい!ジョージ・ルイスと握手した人がいるなんてと、改めて感心しました。

●KKさんから幕末の石巻について
 尾の崎の近藤さんから元日に
「本日付の石巻河北電子版「メディアの猫」に、幕末、榎本武揚や土方歳三が蝦夷地に上る途中石巻地方に滞在して無理難題を吹っ掛けた記事が載っています。物語でしか知りえない彼らが石巻で足跡を残していたとは、なんか親しみ、人間味を感じます」という便りがありました。その記事はこちらです。

 この件に関連して、私が別件で集めているものに、長面の榊とくゑさんが「脱走のこと」として語っているものが『河北町誌』(昭和54年刊)にありました。
 ※ここでいう「脱走」とは、明治元年、戊辰戦争に敗れて逆賊となり、仙台藩の降伏を潔しとしない脱藩兵が、石巻沖に投錨していた榎本武揚の艦に長面・尾の崎を通って合流しようとした者たちのこと。

 長面の永沼家(現当主 悦夫氏)は、藩に献金などをして士分扱いを受けるほどの富裕な農家であった。 脱走が来るというので、主人悦之助(悦夫の父)と家族は分家にいき、分家の主人である悦之助の弟小三郎は、死を覚悟して本家にきて使用人の若者と二人居残っていた。
 南條組という脱走が二十人、どやどやとやってきた。小三郎は
「私が主人です」といって応対した。米は一部は分家に運んでおいたので、言うままに倉をあけた。脱走は「長面中の強力者を集めろ」と命じ、その米を尾の崎峠を越えて名振まで運ばせたそうである。永沼家に入った脱走はおとなしく引揚げたという。
 また、別な脱走は高清(たかせい)(現当主哲郎氏)に入った。高清では、産室をつくって産婦に仕立てた女の人を寝せて、大切なものは産室にかくし、脱走が入ってきたとき、
「金はこれだけだ」と巾着に入れておいた金を差出した。脱走たちは産室と聞いてのぞきもしなかったそうである。
 私の養母は小三郎の娘、私は小三郎の孫で、二代榊の家にきたのだが、養母(叔母)はずっと本家にいたので、死ぬまで「仙台の南條という侍は、泥棒で悪党者だ」と語っていた。
 南條は百石の武士で代々八十郎を称し、学者も出た家であったが、酒の好きな家柄であったようだ。
         (脱走と応対した小三郎の孫・榊とくゑさんの伝え聞き)

●KS君の「関東大震災直後の針岡」写真集
 東日本大震災から数か月後だったと思うが、針岡の佐藤孝一君から大川に関連した新聞の切り抜きブックと直後に針岡周辺を撮ったポケットアルバムが送られていました。
 お休みをいただいている間に、震災関係のスクラップブックを改めて見ましたが、久々に見る迫真のドキュメントで、改めてオリオンにも収録したい衝動にかられました。しかし、冷静に考えてみると記事や写真はすべて新聞社や個人に著作権があるので、新聞記事の掲載は断念せざるを得ませんでした。
 同時に送られてきた、富士沼周辺の農地などを撮った孝一君の写真も、改めて見るとこんなひどい状態だったのかと驚かされます。
 7年経った今は、何事もなかったように田畑の耕作が行われていますが、ここに至るまでの苦労は並大抵ではなかったと思います。震災の大きさを風化させないためにも、佐藤君の写真だけでもと思い、パラパラ図書室に収録しました。
 パラパラ本にするにはちょっと面倒なスキャンをしなければならないので、手抜きをしてポケットアルバムをそのままスキャンしてみました。ちょっと見苦しいのですが、お許しください。図書室はこちらです。
 なお、ここに写っている耕作地の大半は、昨年、お米の収穫までは順調でしたが、大豆の収穫時期に台風の雨によって1週間も冠水したそうで、収穫はほとんど望めないということでした。佐藤君は「針岡は山を背後にしているので、大雨の被害が多い。針岡は農業には向かいないので、生まれ変わったらどこか良いところへ婿入りでもするよ」と冗談を言っています。              (1/3) 

TOP はじめに 大川村の位置と地図 ふるさと写真集 津波そのとき 学校のこと はなし語りしすべ 掲示板 LINK