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(DIARY) 2019年1月~


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■尾の崎橋はまだ未完成のようです
 6月初め、一つ下のFSさん(長面、国立市)が石巻での高校同級会の帰りに思いがけなく尾の崎まで足を延したそうです。その時はまだ「尾崎橋は在来の橋で、先の方が少し補強されていました」とのことでした。
 石巻まで来たならと大川中の同級生Yチャンらに是非にと誘われ、駆け足で大槻平六さんや羽生玄栄さんの足跡を訪ねてきたそうで、尾の崎、長面の点描に感慨深いものがありました。

尾の崎橋
 昔、若者たちがダツ突きをした橋の真ん中あたりの海中に、巨大な柱が数本立ち上がっていました。Yチャンが、架橋の工事だと教えてくれました。空中に橋ができるのでしょうか。相当高いですよ。弘象山から下りて来れるようにするとか、ウソでしょう。誰が何のために、と疑います。

横手海岸

 車で尾崎橋を渡り、左側、一番奥の神社前で降り、横の階段を登りましたが、横手の海岸線は巨大岸壁に阻まれ、全く見えず、波の音もしませんでした。

長面浦の眺望
 北野神社の鳥居の左側には巨大な岸壁が築造中で、2回も階段をよじ登ってやっと長面浦を眺望できました。鳥居の右手に傾き加減で、「大槻翁碑」が建っていました。

玄英さんの隠れ家?
 長面上の一番奥、少し入り組んだところに、永沼家の大きな家があった、とのことですがYチャンも実際には行ったことが無いそうです。玄栄さんの隠れ家にふさわしい場所だったのでしょう。

 FSさんの今年の調査目標は塩田の大槻平六左衛門につづき『戊申函館戦争と長面』ということだそうで、その動機は『ふるさとかほくの歴史』(2000.10.29刊)に記載されている
「戊辰戦争後、官軍の佐幕派逮捕処罰が始まって、身の危険を感じた玄栄は長面に身を隠し、名家永沼悦之助(前深谷病院長永沼悦男氏曽祖父)一族の配慮で居を構え、医業で生計を立てました」という記事によるようです。
 FSさんの調査能力にはすごいものがあるので、期待して待ちたいと思います。      (6/15)

■尾の崎橋周辺のこと
 昨年だか一昨年だったか、長面と尾の崎を結ぶ尾の崎橋がいつごろ作られたのか、あれこれネットで探したことがありました。
 はじめに架けられた時期はどこにも資料がないらしく東北大学だったか、かなり信頼性のありそうな資料にも時期は不明とありました。大川村というところは全体に記録を残すことが不得手だったようで、塩田の記録なども十三浜村のほうが詳細な記録が残っているとМОさんに伺ったことがあります。

 尾の崎橋の完成時期は分からなかったのですが、「尾の崎橋架設準備進む、軟弱地盤を改良」という日本建設新聞社の記事を見ました。2016年3月15日の古い記事で、完成予定は平成31年3月末ということでした。従来の橋は85mでしたが、橋のたもとの堤防整備(海抜8.5m)や軟弱地盤の改良などで全長152mの橋になるとのことでした。
 すでに完成したのかどうか検索してみると右のような写真がありました。元の写真が小さいので完成した写真なのか完成予想図なのかよくわかりませんが、提供は「石巻復興まちづり情報交流館」とありました。
 記事によれば概算工事規模は24億7000万円~40億円ということですが、居住困難区域に必要なものなのでしょうか。

 長面、尾の崎の現在がどうなのか、GoogleEarthの長

GoogleEarthから
 
長面、尾の崎、松原
 
尾の崎橋付近

面・尾の崎あたりを眺めてみました。GoogleEarthの撮影日がはっきりわからないのですが、長面、尾の崎、松原海岸付近の現状がある程度見えました。
 長面の集落全体がいまだに資材置き場のようで、工場敷地みたいに見えます。難工事だったという松原海岸の砂浜の波打ち際にも堤防が完成したように見受けられます。
 下は尾の崎橋付近のストリートビューですが、新しく完成した橋なのかどうか、良く分かりません。しかしどうも従来の橋のような感じがします。どなたか橋の現状をご存知でしたら教えてください。
 まあ全体に、昨年訪れた時も感じましが、なんだか背筋が寒くなるようなふるさとの風景でした。     (5/14)



■オリオンの311の星(orion311.com)が復活
 しばらく「オリオン311」などの検索ではすべてがクラッシュしたような状態で、ご迷惑をおかけしました。
 積み重ねてきた内容そのものはなんとか移転したのですが、馴染んでいただいた「オリオン311」等の個人名?(正式には独自ドメインといいます)がネット上で通用しなくなった次第でした。
 たまたま権利がまだあることが分かって復活したのですが、まだ少々不安なところもあり、皆さまにも何かお気づきの点がありましたらお知らせください。
  「オリオン311」で検索してもクラッシュ状態のときは、管理人自身も気落ちがしてしまい、ちょっと意欲が萎えました。復活を機会に何か気付いたことを発信していきたいと思っています。

 4月中頃、熱い東京でしたが、久々の友人と寒すぎる喫茶店で長々話し込んで風邪を引いてしまいました。
 その風邪がつい最近まで尾を引いて鼻も行動もぐずぐずしてましたが、連休から長野の畑に来て、春作業に追われているうちにようやく少し治りかけています。
 春作業といえば大川では田植えの時期ですが、針岡のKS君は、今年は連休中に食用米の6ヘクタール、組合関連の飼料米を6ヘクタールという田植えが終わったそうです。
 時ならぬ高温で、福島の鏡石の小学校で竜巻のような突風が吹いたそうです。長面のTN君が鏡石にいて、震災後に生まれたお孫さんの学校ではないかと心配になり、電話してみました。
 学校は運動会でしたが、お孫さんは1年生なので午後には帰宅していて無事とのこと。良かったです。
 TN君も鏡石で畑仕事をしているのですが、さっぱり雨が降らずに畑に毎日水を運んで撒いているそうです。近所の農家さんの用水路の水も枯れているそうで、これは用水池?ダム?に水漏れがあるからだとか。
 田植えなども例年は連休中に終わるようですが、今年は6月ごろになるのじゃないかと心配していました。まあTN君は管理人と同じく腰痛予防の運動がてらの畑仕事なので、それほど気に病むことはないけどと言ってました。
 KS君ともTN君とも「もうすぐ80だから、気をつけながらボチボチやっぺ」というのが電話のくくりでした。
        (5/11)

 ■命令、指令に和せ?
 新しい年号は「令和」だそうだが、管理人個人としてはあまりしっくりこない。「令」は命令、指令、法令、政令などの令で、梅花の香りなど私には直ぐに連想できない。まあ、かぐわしいご令嬢などには出会ったことがないからその素晴らしさは分からないけれども。
 そもそも秘密裏に年号名を決めること自体が、問答無用の上から目線だ。天皇や皇太子など皇室が自ら改元するなら問答無用でかまわないが、時の政権が年号を決定するのはうなづけない。 
 しばらく前、『歴代天皇総攬~皇位はどう継承されたか~』(笠原英彦著 中公新書)というのを読んだが、皇位継承の血みどろの争い、時の政権との覇権争いにはきれいごとでは済まされない暗闘が数え切れぬほどあって驚かされる。
 どうも今回の年号決定は、政治の天皇制利用に見えて仕方がない。
 
 まあ「令和」がイヤなら西暦を使えばいいわけだから、ひねくれ老人はこれからは西暦に親しもうと思う。               (4/2)


■改めて「オリオン311」の新アドレス
 Yahooのレンタルサーバー中止によってオリオンの各ページが見られなくなります。トップページをこちらに移動してありますので、改めてご覧になり、お気に入りなどに登録していただくとありがたいです。
 近々、元のアドレスが使えるようにしたいと思いますが、最近はPC情報の勉強もしんどくなって、いろいろ手違いばかり生じて慌てています。

●間垣慰霊碑の周りにさくらの植樹
 3/10には間垣の慰霊碑公園で桜の植樹会があったそうです。エドヒガンザクラの苗木101本が、170人の参加者の手で植えられ、3年後の今頃には満開の時期を迎えるそうで、そのころには文字通り、「間垣さくら広場」になるそうです。

●8度目の3.11
 最近は身体も気持ちも活発には動かなくなって、テレビを見て過ごすことが多くなりました。3/11には各局の追悼番組を見たあと、たまたま録画していた昨年放送されたらしいNHKのB1スペシャル『被曝の森2018』をみました。
 浪江町、富岡町、大熊町など帰還困難地域の残留放射線のことなどが詳しくレポートされ、原発事故がいかに恐ろしいものかがひしひしと伝わってきました。
 セシウムの半減期は30年で、その後、減退速度は年々遅くなるそうで、ゼロになるには120年かかるそうです。各地区の除染作業も進んでいると報じていましたが、
除染(?)と言っても平地の表土を搔きとつて移動しているだけですから、除染ではなくただの汚染移動。
 草木の放射線は花や実の部分に集中的に移動するそうで、春の花粉の季節には当然放射能も飛んで来るとのこと。
 こんな恐ろしい原発を稼働しつづける神経も恐ろしいものだと思いました。

●一夜明ければオリンピック騒ぎ
 3/12には3.11のことはほとんどなくなり、「オリンピックまで500日」と大騒ぎ。これが風化というものでしょうが、なんか日本中がイベントの目くらましで日々を過ごしているような虚しさです。
 オリンピックの競技そのものは期待しているけれど、大騒ぎはもうやめてほしい。被災地の復興がオリンピックのせいで遅れたのは承知のことだし、人手不足も交通渋滞もオリンピックのせいだ。
 気の毒でかわいそうなのが水泳の池江選手。それに続いて萩野選手もどうしてしまったのか。二人とも大ファンなので、なんとか頑張って復活してほしい。
 
●譲位と改元
 これもまあ大騒ぎですが、たしかに譲位というのは歴史上のことと思っていた私にはなるほどそういうことかと思った次第でした。
 昭和に育った私としては昭和天皇の崩御と改元を感慨深く受け止め、その夜の東京の様子をビデオに収めたりしました。昭和天皇の長い闘病を経験した今上天皇が譲位を決断したのはたいへん良かったと思います。
 つきなみながら来たる新時代が、災害や事故のない世であることを心から願いますが、つまらない政治家などにあまり出しゃばってほしくないとおもいます。  (3/29)


■「オリオン311」の新アドレス
 大川地区の追想サイト「オリオンの311の星」のアドレスはhttp://orion311.littlestar.jp/になります。お気に入りなどの変更をお願いします。
 ※あえて変更しなくてもたぶん閲覧できると思いますが、もし4月に入って見られなくなったら、http://orion311.littlestarjp/にしてください。その節にはまたお知らせいたしますが。
 これまでのYahooのサーバーは3月末で中止になり、4月以降は閲覧できなくなりました。Yahooは、まあまあ気に入っていたのですが、採算の合わない部門はどんどん切り捨てていくのでしょうね。非情なもんです。
 移転に伴い写真の表示ほかに不都合が生じているかもしれません。お気づきの点がありましたら、お知らせくださるようお願いします。    (2/19)


■テストです
 Yahooからlolipop!というサーバーに引っ越しました。うまく機能するかどうかテスト中です。 (2/16)(2/17)UPできず。けっこう苦労しましたが(2/19)ようやくUP成功のようです。


■間垣慰霊碑脇の公園が「間垣さくら広場」に
 間垣慰霊碑保存会から今後の予定などのご報告が届きました。
・3月1日に間垣の慰霊碑脇の公園が工事終了となり石巻市に引き渡され、保存会が来年度から慰霊碑と公園の管理にあたるそうです。
・公園の名称は「間垣さくら広場」となり、8回目の命日前日の3月10日に慰霊を兼ねた桜の植樹会が行われるそうです。
●間垣さくら植樹会ご案内
日時:3月10日(日)11:00~13:30
場所:間垣さくら広場(間垣の慰霊碑の脇)
主催:間垣慰霊碑保存会
共催:NPO法人さくら並木ネットワーク/一般社団法人長面浦海人/石巻市社会福祉協議会

・当日は約100本の桜の植樹が予定されています。
・参加人数分のおにぎりが用意され、長面海人さんの協力で焼き牡蛎、しうり汁の提供もあるそうです。
・小雨、小雪決行。駐車場は十分にあるそうです。
・終了後は遠藤さんの「まがき」が開いていますので、時間のある方は休憩場所としてご利用くださいとのことです。        (2/10)
 

■突然の消滅の危機
 「オリオン311」が利用しているYahooのレンタルサーバーが3月末でサービスを停止するそうです。このままでは3月末には「オリオン」内のすべてのデータが消えてしまいます。
 まあ、平成も終わるそうですからオリオンもそろそろ幕を閉じてもいいのですが、多くの方の大川村に関する情報や記憶がストックされていますから、ちょっともったいない気もします。
 「100年前の大川村」などこれから少し探ってみたいこともありますし、「オリオン」内の主要な話題を簡単な冊子の形で残しておきたいとも思い、それには少々時間がかかるので、オリオンのデータはもう少しの間残しておきたいとも思います。
 電子媒体は便利ではありますが、今回のように企業都合のほか、天変地異やサイバー攻撃などで突然消滅することがあります。その点、紙の記録は何百年後もどこかに残っていることが多く、記録は紙の方が確実に思えます。その意味でも、オリオンの内容を紙に移しておきたいと思っているわけです。
 そんなわけで、もうすこし「オリオン311」を続けるべく別のサーバーへの移転を試みていますが、なかなか難しそうです。なんとか4月までは成功させたいと思いますが、あるいは少しの間閲覧ができなくなることもあるかもしれません。どうすればいいか、いろいろ試行錯誤しています。皆さまにも何か良い知恵がありましたらお知らせください。変化がありましたら、またお知らせしますが、突然の閲覧不能などがあるかもしれません。しばらくご容赦ください。

 まったく別件ですが、先日運転免許を更新しました。有効期限がどう表記されるか興味があったのですが、「平成34年〇月〇日まで有効」とありました。平成はしばらく続くのですね。     (2/8)
 


■「つぶやき集」ができました。感謝!
 待望のつぶやき集が昨年12月25日に完成したそうで、さっそく現地で実務を担当されている間垣の遠藤さん(ヒトボさん)からご送付いただきました。
 遠藤さんには編集段階のさまざまな疑問点などをお手伝いいただいたようで、引きつづき現地の実務担当として配布や頒布に大変なご努力をいただいております。改めて感謝申し上げます。「つぶやき集」の詳しい内容についてはこちらをご覧ください。 

 
表紙

本文 

 とりあえずの初版は400部でうち100部はお世話になった関係者に配布され、残りを大川地区で被災されたご家庭に配布(希望者、1世帯1冊まで無料)、そのほか地域外の方や追加購入をご希望の方には1部1000円(税込)で販売し、増刷の原資とさせていただくそうです。
●現地販売 間垣の遠藤さん宅に在庫があります。
●郵送販売 1部1000円+送料(1部あたり250円程度)。詳細はプロジェクトのfacebookに掲載されますのでご覧ください。
 お急ぎの方は長面浦海人へメールまたは電話でお問い合わせくださいとのことです。
メール nagatsuraura@gmail.com
電話 090-7330-3311 

 遠藤さんはじめ、関係者の皆さま、ほんとうにご苦労さまです。ありがとうございます。    (2/3) 


■大川のオリーブ今秋から商品化
 昨日()1/30の東京新聞にうれしいニュースがありました。
 昨年秋に大川に帰った時、間垣のヒトボさんの案内で釜谷にあるオリーブ畑を見学させていただきましたが、これらの「北限のオリーブ」が震災からの復興の象徴として今秋から商品化されるそうです。
 これらのオリーブは2014年から網地島(あじしま)、雄勝、北上、河北の4か所で実証栽培が始められ、昨年は84㎏の収穫があっそうです。
 今年は500㎏、来年は1トンの収穫を目指すそうで、オリーブオイルや塩漬け加工の工場も今年秋には完成するそうです。詳しくは右の記事をご覧ください。    (1/31)


■さて、今年は
 年末に今年は「100年前の大川村」、それに「記憶に残る大川の風景など」を水彩で描いておこうなんて言いましたが、まだ何もしていません。

●「100年前の大川村」とは?
 じつは昨年春、家庭菜園用の管理機(一応ガソリンエンジン付きのカルチベーター)が故障して、豆畑のウネをクワで立てたのですが、3mもやると息が切れて一休みしては、
「松原の開墾地を父や母はクワとスコップだけで耕していたなあ」と思い出していました。あの頃はどこにもトラクターやユンボなどはなく、たいていはクワ一本の農作業でした。覚えているのは7、80年前のことですが、だいたい100年前も同じようなことだったろうと思うわけです。
 しばらく前から20世紀の100年は、人類にとって猛スピードの変革がなされた100年だったと思っていたので、何かの参考にならないかなあと思った次第です。
 映画、軽音楽、飛行機、電気の普及などなど、あらゆるものが100年ぐらい前から始まって急速な変化を遂げたと感じます。
 100年というと長いようですが、地球の歴史や人類の歴史から見ればほんの一瞬。この時代に生きたのが幸せだったかどうかは分かりませんが、その渦中にいた実感を記しておきたいと思った次第です。

●「記憶に残る大川村の風景」とは?
 私の場合、幼い時の記憶は主に長面・尾の崎の風景や行事ですが、写真に残っているのはごく一部で、あまりはっきりした記録はありません。
 印象に残っていることをおぼろげな記憶を頼りに描いてみようと思いました。ただ、絵心があるわけではなく、水彩も油も経験がないので、まず道具選びからです。
 記憶に基づく絵を描いてみたいと思ったのは、2016年の春に脳梗塞をおこしたとき、まともな思考はできなくなるだろうし文字も書けなくなるだろうから、絵でも描こうかと思ったのが初めです。ですから、ちゃんとした絵が描けるとは今も思っていません。落書きと思っていただければとおもいます。
 そのうち何か仕上がりましたら、見ていただきたいと思います。サイト内のどこかにコーナーを設けたいと思いますので、皆さまもぜひご参加ください。     (1/8)

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