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(DIARY) 2020年1月~


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■岩槻のTSさんから封書が届きました
 岩槻のTSさんから分厚いお便りが届きました。TSさんはさいたま市岩槻区で建具店を営んでいますが、管理人の同級生・釜谷の豆腐屋ケーちゃんの弟さんです。これまでさんざんお世話になっていて、いまさらそんな紹介は不要なのですが、私のアタマがすっかりボケていて、オリオンの編集方法がわからなくなっているので、あえて一からやり直しを試みています。お便りはやはり「オリオンを見て安心しました。寒くなりますので大事になさってください」という励ましと、今年挑戦された「時の鐘」のミニチュア造りに関した新聞記事が入っていました。
 「時の鐘」とは岩槻地区には“岩槻に過ぎたるものが二つあり、児玉南柯(なんか)と時の鐘”と言われるくらい有名な岩槻城の鐘楼で、江戸時代からこれまで朝、昼、晩の3回、鐘を鳴らし続けているそうです。TSさんがどういう思いでこれのミニチュア造りに挑戦したのかは、新聞の切り抜きをクリックしてごらんください。
 左の新聞記事、右のタウン紙の記事など、しばらく写真編集などをしていなかったので、やり方を忘れてあまりきれいにできませんでした。
 TSさんの思いはミニチュアの屋根のてっぺんに丸い宝珠がありますが、これは疫病退散などお祓いの意味のあるものだそうで、コロナ禍の中でも誰もが元気で乗り切れるようにという願いを込めたものだそうです。
 ちなみに児玉南柯は江戸時代の教育者で岩槻藩士。藩内の教学に尽くした人だそうです。
 なお、当サイトにはGalleryというコーナーがあり、この中に「鈴木惟司の世界」というページがあり、TSさんの作品が多数収録されていますのでご覧ください(こちら)。       (12/17)


■近況・訃報ほか
 数カ月にわたる空白にもかかわらず、この「風だより」を毎日のようにチェックしてくださった方もおられるようで、「疲れましたよ」というお叱りや「復活おめでとう」という励ましなどをいただきました。ほんとうにすみません。検査入院のような軽い入退院と週一回の通院治療だったので、それほどの負担はなかったのですが、なんとなく意欲が減退して何事にも手が着きませんでした。すみません。
 行きつけの渋谷の文房具屋さんが渋谷の再開発とコロナのせいで閉店、毎年の手帳は代引きで送ってもらいました。その手帳を見ると管理人も来年はいよいよ80歳。2月生まれなのでもうしばらく79歳だよと針岡同級生、80歳に一足先に到達したKS君に電話してみました。
 相変わらず元気そうですが、田舎もコロナ騒ぎで外出も控え目にしているようです。今年の稲作は6ヘクタールほどの食用米はかなり良い出来だったそうです。ただ東京のニュースにもありましたが、コロナの影響による外食縮小でお米の販売量が落ち込んで、農家の経営も大変なようです。農業再興に向けて頑張っておられるリスタ大川さんなども耕作面積が膨大なだけに、大変なことだと思いますが頑張っていただきたいと思います。

●横川のシンちゃん
 KS君の話で、横川の同級生SF君(愛称シンちゃん)が亡くなったことを知りました。
 何年か前、仙台の病院で胃のポリープを取ったという時に会いました。ともかく私の敬愛する横川の同級生で、津波の年には自宅の近くにある小さな畑と大きな作業場風建物に案内され、建物内にたくさん並べて干してあるお孫さん(大川小で津波で逝ったお二人)のランドセルやノートなどの遺品の前で話を聞いたことが忘れられません。
 胃の手術の後は「好きな釣りでもやって過ごすさ」と言ってましたが、すぐそばの追波川で釣ったカンツカ(ハゼ)を送ってくれたことがありました。「東京では焼きハゼが手に入らない。懐かしいなあ」と言ったらシンちゃんが釣ったハゼを奥さまが昔風にワラで編んでくれてわざわざ送ってくれたのでした。
●草加のKK君
 ひと月ほど前になりますか、草加の同級生KK君(針岡)が亡くなったと聞きました。東京同級会の主役の一人で、一時は工務店の経営でとても景気が良かったようですが、バブル崩壊でとん挫。何億かの負債を抱えたそうですが、数年前には代替わりして「ようやく立ち直れた」と話していました。
 針岡のKS君にKK君のことを伝えると、初耳だったらしく非常に驚いていました。
●AОさん(横川・東京)の一周忌
 これもひと月ほど前ですが、AОさんの近くに住むNО君(長面・東京)から「早いね、AОさんの一周忌だよ」という連絡がありました。NО君自身は仕事を息子さんに譲って現在は会長職、すこぶる元気に現役で頑張っています。
 管理人はいずれの方もお悔やみもせず、電話も入れず、ご無礼をいたしております。80前後になればいずれは我が身ですし、コロナの蔓延もありますから、あまり騒がない方が良いと思いまして。
 ついでながら義兄にあたる登米町の横山寛二郎さん(一時大川小に勤務していました)もこの12月初めに亡くなりました。88歳? コロナ対策のため、家族と町内の方だけの家族葬だったそうです。

■GOOD NEWS『あなたの瞳に話せたら』
 12月5日付の東京新聞朝刊に、“戻らない妹への「手紙」” と題する記事がありました。震災で被災した大川小をめぐる記録映画で、制作者は福地出身の佐藤そのみさんで29分の短編記録映画だそうです。タイトルは『あなたの瞳に話せたら』。大川小で犠牲になった妹のみずほさんに今の思いを語り掛ける映画で、12月6日に新宿のケイズシネマで公開されたそうです。
 残念ながら管理人は見ることができなかったのですが、いずれ各地で上映される機会があると思います。機会がありましたらぜひご覧ください。
 この記録映画は佐藤そのみさんが今年3月まで通っていた日大芸術学部映画学科の卒業記念として制作したもので、父上は大川小の語り部として活躍している方だそうです。          (12/12)


■これは“ヘイト”かな ~アメリカ人の本質~
 トランプという醜悪な大統領がようやく退場してくれるようだ。彼の盟友とかいうどこかの首相も今年は退場してくれたから、まあ今年は良い年だったかもしれない。あとはやっぱり習近平にもコロナにも退場してほしい。。
 管理人は少年時代から西部劇が大好きで、あの勧善懲悪がアメリカ人の本質で、正しいものが必ず勝つというのが民主主義だと信じていた。戦後のアメリカ民主主義みたいなものが、西部劇を通じて私の中で育っていたのだが、どうもトランプという大統領を見ていると、あれがアメリカ人の本質かもしれないと思うようになった。
 西部劇はじめ、アメリカ映画の監督には民主派というか良心派というか、批判精神の旺盛な人が多かったために、ビリー・ザ・キッドみたいな青年がトランプみたいな男をバンと撃ち殺す映画がつくられたのかもしれない。トランプを見ていると大ぼら吹きで有名なディビー・クロケットを思い出す。テキサス独立を支持、アラモの戦いで戦死した英雄だが言動はトランプによく似ている。
 もう一人実在の人物にジョン・チザムがいる。テキサスのリンカーン郡戦争の立役者で、ビリー・ザ・キッドやパット・ギャレットを雇って活躍したと言われるが、実像はよくわからないそうだ。
 ともかくトランプの登場で私のアメリカ像が崩れてしまったので、それまで長いこと所属していた東京の西部劇愛好クラブ『ウエスタン・ユニオン』も退会してしまった。どうもアメリカ人の本質は「自分さえよければよい」ということらしいが、さてバイデン氏になってどう変わりますか。

●近況
 いつかも言いましたがそろそろ年貢の納め時なのですが、まだ納められずにジタバタ苦戦しています。
 今年は6月来、ガンだなんだと大騒ぎしてご心配とご迷惑をおかけしましたが、今日(12/9)、ようやく治療後の検査結果がわかりました。
 おかげさまでガンの影は全部消えており、新たな8カ所の生検結果にもガン細胞はなしとのことでした。ただ、再発しやすいガンなので今後3カ月に1回、内視鏡と生体検査を5年間やるとのことでした。5年のうちには他のところが爆発すると思いますが、とりあえずガンは完治したものとして生活します。
 おかげ様です。ありがとうございました。             (12/9)


■「大川地区復興協議会」が発展的解散、「大川振興会」にバトン

●来年の10年目の節目に「大川地区復興協議会」の発展的解散
 平成23年3月の東日本大震災の後、大川地区の多方面の復興に尽力してきた「大川地区復興協議会」の大槻幹夫会長から、来年3月に10年目という節目を迎えるにあたり、これまでの「大川地区復興協議会」を発展的解散し、「大川振興会」を立ち上げてバトンをつないでいきたいという文書をいただきました。
 まず、ご報告とお礼という文面には
「あの東日本大震災発生の時からまる9年が過ぎました。
来年3月には10年目という一つの節目を迎えることから私たちの活動の場であった「大川地区復興協議会」も8月19日をもって発展的に解散し、新たに「大川振興会」を立ち上げてバトンをつないでいくことになりました。
顧みるにこの9年間、「みんなで心ひとつ、知恵と力を結集してがんばっていこう」の掛け声のもと曲りなりにも活動を続けることができたのは、たくさんの方々のご厚情とお力添えがあったからこそであり、改めて厚くお礼申し上げる次第です。
 今、大川地区の復旧、復興のハード事業は最終章の中を進んでおりますが反面、人口減少と高齢化が顕著に進行しており、今後には未経験のこの大きな課題が待ち構えております。
これまで培ってきた「住民自治力」の真価が問われるものと思っております。
つきましては今後も大川地区に温かいご支援を賜りますよう申し上げご報告とお礼の挨拶といたします。
        令和2年8月12日   大川地区復興協議会  会長 大槻幹夫

とあり、平成23年11月から平成28年10月までの「大川地区復興協議会の歩み(主な会議・事業)」の表と同協議会が行った関係方面への「要望事項(回答・結果を含む)一覧」という表が同封されていました。
 一見すると項目だけなので何でもない記録に見えますが、大川小の存続と建設、大川中校舎の活用、各地区の復興協議、郵便局や大川駐在所の復旧、大川鎮魂の森の構想や整備、針岡地区の恒久的内水排除対策、行方不明者の捜索などなど、ふる里の皆さんの数々の奮闘の記録です。右にその表を掲載させていただきますので、じっくりとご覧になって故郷への思いを新たにしていただければと思います。※表をクリックすると大きく見えます。

 H23.11.12~H25.5.25
 H25.7.6~H27.6.21  H27.6.25~H28.10.18


●要望事項一覧(回答・結果含む)

・大川中校舎利活用断念
・横川と谷地の間の高台に予定された大川小が二俣小と統合されることに
・郵便局及びATMの再建断念
などなど多くの努力にもかかわらず市や県の壁の厚さがうかがわれるようです。




 この文書はもう少し早くに届いたのですが、管理人が長野にいたためにご紹介が遅くなりました。 (8/25) 

■まがき慰霊碑&管理人近況
●まがき慰霊碑の今後の予定
 間垣のヒトボさんから「第21回まがき慰霊碑保存会報告書」が届きました。「まがき慰霊碑」(こちら)は広大な敷地に芝生が張られ、たくさんの桜も植えられた「さくら広場」にもなっていてなかなか管理が大変なようです。
 でも、慰霊碑の周りで懐かしい故人をしのびながら皆で芝の管理や除草、桜の管理をする風景は想像するだけでゆかしいイベントだと思います。今回のお便りも主に芝生や桜の管理作業のことが主で、とてもうらやましいことだと思います。
 今後の予定は通りだそうです。
①8/23(日→)7/26(日)の芝刈り予定を8/23に延期して実施
 ・堤防を含む広場のゴミ拾い
 ・芝刈り機での全面の草刈り
 ・さくらの木の点検
②10/11(日)
 ・堤防を含む広場のゴミ拾い
 ・芝刈り機での全面の草刈り
 ・広場周辺の草刈り
③11/22(日)
 ・間垣サポーターチーム「思いの郷」との交流
 ・桜の木の剪定、追肥、植え替え
 慰霊碑を中心にこのような作業が自発的に継続されるのは素晴らしいことですね。ご関係の皆さまの作業姿がうらやましく浮かんできます。

●管理人近況 そろそろ年貢の用意ですね
 ながらくご無沙汰してすみません。今年の夏は東京にいてテレビばかり見ています。じつは6/26は長野にいたのですが、突然オシッコが出なくなって、救急車で「JA浅間南麓こもろ医療センター」というところに。いったん膀胱に管を入れて小屋に帰ったのですが、2日後にまた出なくなって再度救急へ。
 結局「こちらでは治療できないから、東京へ帰った方がいい」と言われて、7/6に東京へ帰りました。10年程前に前立腺がんの放射線治療をしたのですが、その影響で数年前から血尿があり、東京の医者は「放射線の後遺症だから気にしなくてよい」というので、あまり気にしていなかったのです。
 7/6に東京へ帰ったのですが、7日早朝にまた出なくなって東京の救急へ。そのままかかりつけの泌尿器科で相談して7/15に入院、16日に放射線で膨れ上がった前立腺の血管を電気で焼き縮める手術と膀胱周辺のガン生検をすることに。手術そのものは半身麻酔なので痛くもかゆくもなかったですが、2週間近くもオチンチンに太い管を入れたままなのは地獄でした。痛くて辛いです、これは。
 20日に管を抜いて22日退院。現在は痛みもなくまあまあですが、いつまた出なくなるか常に不安です。長野の庭も畑も近くの知人にお願いしてきましたが、果たして復帰できるかどうか。28日に検査の結果などが出るので、予定はそれからです。
 それにしてもコロナはどんどん増えるし、長雨の各地の被害もひどすぎます。皆さまもどうぞお気をつけてお過ごしください。    (7/26)



■2020コロナあれこれ
 新型コロナウイルスの非常事態も、明日(5/25)あたりに解除になるようですが、ほんとにちょっとしんどい日々でした。普通の年は12月~4月は健康維持のために近くのジムやプールに通うのですが、今年は3月には退会して駒沢公園を自転車でぐるぐる回ってました。
 しかしまあ、長面の海で自己流で覚えた水泳はプールでも楽しいのですが、自転車はすぐ飽きてしまい、何もせずゴロゴロしてテレビばかり見てました。ニュースは腹の立つことばかり多いですね。カケ、モリ、サクラを見る会……、都合の悪いことは隠しちゃうばかりの厚顔無恥、卑怯者のリーダーを戴いていることに腹が立ちます。で、カケ麻雀に訓告。日本の若者も捨てたものではないと♯デモに敬意を表します。
 コロナには人それぞれ悩まされたと思いますが、大川中S32年卒のFSさんから、次のような思い出話というか、励ましをいただきました。

コロナ禍に抗して歌おう(元大川中学校音楽班)
 
私は、昭和32年3月14日に大川中学校を卒業しました。
 楽しい思い出のひとつが、音楽班の活動です。
 なぜ今ごろになって思い出したのかといいますと、新型コロナウィルス流行のせいです。
 緊急事態宣言が発令され、外出自粛要請がなされ、日野市のムスメ一家への出入りを禁止され、孫たちにも会えなくなりました。
 座敷牢に入れられたような気分での一人暮らしの毎日です。
 このままだと、宣言解除のあかつきには立ち上がれず、ヨロヨロしたおバアさんになっていやしないか、負けて堪るか、という気がしてきたのです。
 テレビの音楽番組で、ヨーロッパのある老指揮者が、コロナに勝つには歌うことです、とメッセージを寄せてくださったのを観ました。
 それからは、主にメロディーを鼻歌にしていましたが、ふと思いついて、大川中学校音楽班の仲間を探し、当時歌った曲を思い出すだけ教えてちょうだい、とメールを出しました。
 忘却の彼方とはいえ、二人がかりで数曲は思い出せました。
 音楽コンクールの課題曲と自由曲は思い出せません(残念)。

★大川中学校校歌(昭和30年12月制定)
    「紫匂う北上の 千古ゆるがぬ山脈を はるかに望むこの処・・・」
     大沢智雄 作詞
    福井文彦 作曲
★アフトンの流れ
    「アフトンの流れ静かに・・・」
    原曲はスコットランド民謡  歌詞は何種類もあり
★クシコスの郵便馬車
    歌詞は不明
    「・・・嵐吹く日にも 走るよ走るよ郵便馬車・・・ラッパを高く吹き鳴らして」など、断片的に思い出します。運動会では、「天国と地獄」と共に華やかに演奏されます。
★箱根八里
    鳥居 忱 作詞    滝廉太郎 作曲
    (意味もよくわからず練習しただけに強く印象に残っています。)
★埴生の宿    里見 義 作詞    ビショップ作曲

 最近は毎日、家事をする時にどれかの曲を歌っています。お隣との距離が密接しているのも構わず大声を出し、生き残りをかけて必死です。
 東京都の宣言解除も近いとのことですが、歌うことで、まだまだ持ちこたえられそうです。大川中学校音楽班に入っていてよかった!

                 2020年5月23日


●ひと月遅れの信州
 5/22(金)、禁を破って東京から長野に来ました。例年は4月末から畑の準備や庭木の手入れなどをするのですが、今年はコロナの外出禁止令で、およそひと月遅れの信州です。毎日、夕方になると防災無線が「長野県は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、県をまたぐ移動を禁止しています」と拡声器で放送します。そのたびに肩身の狭い思いをするのですが、今のところ石をぶつけられたり、落書きされたりの嫌がらせはありません。
 庭の草は、近所の知人が一度刈ってくれたおかげでそれほどひどくはありませんが、カミさんの花壇は雑草が膝丈ぐらいまで伸びているうえに、頑丈な根を張っているので悪戦苦闘です。なにより前記のごとく身体がナマッテいるので、足腰の痛みは生半可ではありません。このあたりは「山笑う」の季節ですが毎日「膝笑う」状態でまともに歩けません。
 タイヤの交換もようやくノーマルになったので、明日から畑の草と格闘です。耕運機が入れる部分は知人が起こしてくれてきれいになっていますが、耕運機が入れない花豆の棚の中とか道路とかは、太ももぐらいまでの野草が繁っています。明日から草と格闘しながら、今年は何をどうするか考えてみたいと思います。     (5/24)


■2020コロナ 近況
 本来ならばもうすぐオリンピックということで、日本中がウキウキした気分だったでしょうが、高校野球、プロ野球、大相撲をはじめ、いろんなスポーツ、さまざまな祭りなども停止状態なので、テレビ観戦派の管理人は少しつまらない日常を過ごしています。

●写真集<長面2020春>感想あれこれ
 ヨッチャンとFSさんのおかげで出来た写真集<長面2020春>にいろいろな感想が寄せられているようです。

★すっかり様変わりしていますが、地形そのものは記憶のままですね。あの護岸は、本当に何のためなのか、よくわかりません。
★羽生先生とコロリ読みました。それにしても日本民族は地震津波、疫病と、繰り返し襲われながら立ち上がって来たのですね。
★綺麗な写真でびっくりしました。どこかの観光地のようですね。毎日コロナウイルスのニュースをみていると自分もかかりそうでいやです。うちのまちは人口6万人で感染者14人です。気を付けて乗り切りたいです。

●管理人のコロナ禍
 まったくコロナにはまいりますね。管理人も例年なら4月末ごろから長野の畑に行っていて、東京は留守にしているのですが、今年はまだ暑くなった東京に留まっています。実は5月7日か8日には長野へ行く予定だったのですが、近くの親しい町議さんから
 「畑は耕運機で耕しておいたし、庭の草も刈ったから急いで来なくていいよ」という電話がありました。なんでも町民の皆が車のナンバーを気にしており、東京からの人には神経質になっているから、まだ来ない方がいいよ ということらしいです。
 でも、夏の衣類が東京に一枚もないし、車もスノータイヤのまま、登米から送ってきた玄米も物置に置きっぱなしだし、花壇の草取りもしなくちゃならない。水道やガスもチェックが必要なので、今月下旬には自粛解除が無くてもちょっと行ってこようと思います。自粛無視のパチンコ屋さんと同罪ですが……。
 宮城県は自粛解除でよかったですね。再発がなければ万々歳なので、まだ気を緩めないで頑張ってください。

●KS君、今年は6町歩の田植えが終わったそうです
 私は連休明けに長野へ行って、しばらく様子を見たあと床屋と整形外科に行こうと思っていたのですが、しばらく行けなくなったので、東京で床屋と整形外科を済まし、それから2週間様子を見てから長野に行くことにしたわけですが、そんなことを考えながら針岡のKS君に久しぶりに電話してみました。
 連休中に、お子さんやお孫さん総出で田植えが終わって一段落したということでした。今年は飼料米の耕作はすべてやめて、食用米だけ6町歩を栽培するとのこと。機械化されているとはいえ80歳で6町歩とはすごいなあと言うと、「みんなからも“年だねべ、欲でやってんだべ(歳じゃないだろう、欲にひかれてやってるんだろう)”」と言われるよと笑ってました。
 彼は喘息の持病があるにもかかわらず、本当に元気です。コロナにはますます気をつけて頑張ってほしいです。         (5/7)


 

■写真集<長面2020春>をアップしました
 前回少し触れましたが、昨年夏に写真集〈長面2019夏〉(こちら)を撮影していただいた長面のヨッチャン(大川中S31年度卒・門脇在住)から今年4月に撮影した新しい長面の写真が届き、写真集<長面2020夏>(こちら)にまとめさせていただきました。
 長面の風景は主に弘象山からの眺望で懐かしい風景ですが、例の巨大な堤防や奇怪な尾の崎橋の出現で昔の記憶とは一変しています。 震災前の記憶を思い出しながら、今回の写真を鑑賞いただければと思います。
 ヨッチャンは弘象山から松原海岸方面や北上川方面を眺めたかったとおっしゃっていましたが、残念ながら弘象山の木々が大きくなって眺望が効かず、また眺望可能な場所まで行けなかったということでした。それでも非常事態宣言前の弘象山の木々は、まだ芽吹きが始まっておらず木々の隙間から遠くを見通せています。
 長面耕土はずいぶん耕作可能地域が増えているそうですが、まだ黄色一色ですがヨッチャンは「そろそろ田植えですかね」とも言ってました。
 管理人は枯れ木のような林の写真を見て、子供の頃よく見た赤いカラスウリの実が下がる風景を思い出しました。
 今回の写真でもう一つ驚いたことがあります。八雲神社や北野神社がある山に、水神様の立派なお社があったことです。水神様のことは小さい頃に聞いたことがありますが、記憶ではこんな立派なお社があるのはまったく覚えがなく、本当にびっくりしました。写真集の後半にありますので、ぜひご覧ください。

 管理人宅にはアベノマスクが届きました。でもいろいろ評判があり、ちょっと口を覆う勇気はなく封をしたままです。開けてないので汚れがあるとかないとかは分かりません。それに地震が多いですね。東北はむろんですが、伊豆とか長野県とか、東京も揺れました。コロナ騒ぎに地震が重なったらどうなるのだろうと心配です。とは言いながら、そういう場合の備えは何もしていません。
 非常事態宣言がどうなるか分かりませんが、今のところ5月6日までは東京にいて、その後は長野の畑に移動しようと思っています。        (4/28)
 

■羽生玄栄さんと安政5年のコレラ流行
 春になって新型コロナ騒ぎが一層大きくなり、外出自粛や他県への移動自粛、その上プライベートな細々したことが重なって、テレビのコロナ報道に金縛りにあっています。
 で、4月11日に羽生玄栄さんの『時事雑纂』を読み込んでおられるFSさんから上記表題の「羽生玄栄さんと安政5年のコレラ流行」というレポートをいただいていたのですが、気持ちが落着かないまま放置しており、今日ようやく「玄栄さんのこと」にアップしました。(こちら)にありますので、時間がありましたらご覧ください。
 玄栄さんが最初に京都に赴いたのは安政4年だそうですが、この時はコレラ大流行の時期だったようです。コレラとコロナは響きがよく似ていて、コレラはコロリとも言われたそうで、FSさんもこの辺に興味を持たれたのかもしれません。
 レポートによれば、さすがの玄栄さんも祈祷やお祓いにお付き合いをしているようです。

 また、FSさんからは長面の同級生YTさんが撮影した、今年4月の弘象山からの風景ほかが届いています。近々、「写真集<長面2020春>」をアップしますので、ご期待ください。
 管理人は今のところ、5月6日までは東京にいる予定です。その後は様子を見て決めますが、個人的には長野にいた方が安全だと思っていますが、首都圏からの移動は地元に反感がありそうですね。
 宮城県の感染はまだそれほどではなさそうですが、蛇田の兄夫婦は、「石巻も歩いている人が見当たらないよ」と言っていました。それでも病院とか買い物には行かなくてはならないですから、まあ気をつけながら生活したいです。     (4/25)


■避難に遅れました
 といってもコロナに感染したわけではなく、元気です。毎年、連休前には東京を脱出して長野の畑に行くのですが、御代田町の商工観光係から「町内に所有の別荘等のご利用について」という文書が届き、往来の自粛に協力願いますとありました。
 「来ないでください」とはどこにも書いてなく、「不要不急の往来は自粛してください」とあり、別荘の方も三密を避けるなど町民と同じ心構えで過ごしてくださいとあります。私の場合は不要不急ではなく、庭と畑の草刈りや豆、ジャガイモ、カボチャの種まきなど有要有急だと思っており、4/21の病院が終わったら長野へ移動する予定でした。しかし、近所の住民感情としてはどうなのかなと思い、町会議員のKさんに電話してみました。
 「うーん、コロナには困ったもんだ。俺は人に会うのが仕事なんだがウロウロできないから困るよ。ともかく俺の口から“来てもいいよ”とは言えないなあ。しばらく様子を見てよ。畑は様子を見て耕運機で起こしておくから」とのことでした。
 そういうわけで、今年は東京に拘束状態。御代田は隣近所は数十メートル離れているので、人に会わないように出来ますが、東京はマンションという密閉空間みたいなもので、いつコロナが迫ってくるかまったくわかりません。
 まあ、何が起ころうとも平常心で落ち着いたフリをしているしかないですね。ふる里の皆さんもどうぞお気をつけてと、無事を願うほかはありません。
 それにしても医療関係者、福祉関係の皆さまのご苦労は大変ですね。感謝、感謝です。   (4/19)


■緊急事態宣言
 たしかに緊急事態です。一つはマスクとトイレッペーパー、もう一つはそろそろ長野に行く時期なのですが、どうも東京から田舎にら行くのは自粛せよとのことで動きがとれなくなりました。

●公園と薬局
 近くの駒沢公園を自転車で3㎞ばかり走りましたが、公園の人出は普通でジョギングする方が多数。
 街は全体に人出はまばらでした。街の薬局を4軒、マスクとトイレットペーパーを探すもマスクは皆無。1軒目では“長く使える”というトイレットペーパー1ロール158円でバラ売り。1巻き158円也、ロールペーパー1つを持って歩くのは恥ずかしいので袋にと言ったら、2円也。消費税込みで173円でした。
 その後3軒とも両方とも売り切れ、5件目のスーパーでやっと12ロール一包みを購入できました。その後銀行で記帳などしたのですが、自転車に置いておくと貴重な品を持って行かれそうで、銀行の中でも手にぶら下げていました。恥ずかしい(笑)

●長野への移動
 例年4月末に長野へ移動するのですが、緊急事態の自粛で悩んでいます。コロナ疎開がけしからんらしいですが、東京のマンションの密閉空間に留まるのが正しいのかどうか。
 高齢夫婦と難病の一人が生活しているので、誰かが感染すれば一家が絶滅するのは火を見るよりあきらか。自分としては例年通り高齢夫婦が長野に行って、息子が東京にいるのが合理的かな、などと考えています。
 まあ、4月21日まで病院の予約があるので、御代田町の対応などをもう少し見守りたいと思います。

●SF(サイエンス・フィクション)の世界
 長生きしてもロクなことがないなどと言いますが、考えようによっては長生きしたおかげで「東日本大震災」「新型ウイルス襲来」など、SF並みの世界を立て続けに眼前にした感じです。
 そんなことに遭遇しないのが理想ですが、いつかは何かが起こるということを実感しておくことも大切だと思います。      (4/8)


■コロナ怖い!

 新型コロナウイルスの蔓延がいよいよ本格的になってきましたが、皆さまにはお変わりないことを願っています。管理人も今のところ変わりなく元気です。ただ、用心のためにスポーツジムもやめてテレビばかり見ているので、恐怖心と腹立ちばかりが募ります。もう十分生きたので死ぬのはかまいませんが、溺死状態の苦しいのは避けたいです。
 東京をはじめどこも感染者がどんどん増えて自粛自粛の雰囲気ですが、カラオケ、ライブハウス、バー、ナイトクラブ、それに休みを余儀なくされる弱者が可愛そうです。休業補償に税金をつぎ込むのはどうかなどと言ってますが、国民の命と健康を守るために国や自治体があり、そのために国民は税金を払っているのだから、明確に休業・休職を命令し、細かに補償すべきでしょう。
 身勝手ながら私は一刻も早く東京を逃げ出したいのですが、今月は月末まで心臓血管、腎臓、前立腺予後の検診があって動きがとれません。いずれも大病院なので待ち時間が長いのが心配です。今までマスクをしたことはないのですが、今月は必要でしようね。
 4月末になって東京が封鎖されたら、長野には行ってはいけないのかなと気をもんでいます。           (4/1)


 

■シャーマン戦車と竹ヤリ

 「手洗いとマスクだけの防衛方法は、シャーマン戦車に竹やりで戦えという大本営のようだ。早く治療薬を開発してほしい」というメールが友人からありました。
 私たち世代は、学校のいっせい休校で仙台の孫たちを預かるとか、何年かぶりにお弁当作りに追われているとか、いろいろたいへんなようです。

 東京は一昨日45人、昨日47人の感染者とかで、いささかビックリしますが、さて今日は何人になりますか。“都市封鎖”ってどんなことかわからず、なるべく早く東京を脱出したいけど、4月後半まで病院の予定があって動きがとれません。
 肺気腫や血圧、動脈瘤や腎不全などがある私は、コロナを用心して2月末にはジムのプールを中止、近くの駒沢公園を自転車でぐるぐる回ってます。桜が満開のはずですが、今日は強風と明日からの外出自粛もあって、行ってません。例年なら花見の季節ですが、明日の週末は雨だそうで、さてどうなりますか。

 オリンピックも1年延期だそうですが、結局は中止でしょうね。来年まで薬が開発されて騒ぎが世界的に終焉するとは思えません。競技を見るのは大変楽しいですが、開催都市を持ち回りにするのは意味があるとは思いません。
 予算は世界各国が分担して、アテネあたりに恒久的なオリンピック施設を作ったらどうでしょう。世界はテレビを見ていれば十分です。 コロナ騒ぎみたいなものがアテネで起こっても、中止するのは簡単で、諦めもつきやすいとおもいます。     (3/27)


 

■9年前の3月11日

 今日の東京は20℃のポカポカ陽気で、テレビによればソメイヨシノもほころび始めたそうで、気味が悪いほどの暖かさです。9年前の3月11日もこんなに暖かかったら、ずいぶん様子が違っていたように思います。新型コロナもこの陽気と関係があるのかしらなどとテレビの前でかたずをのんで見守っています。
 ずいぶん前ですが仕事先の年配の方から「父がスペイン風邪で死んで、母親が女手一つで私を育ててくれた」という話を聞いたことがありました。改めてスペイン風邪を調べてみると、およそ100年前の1918年のインフルエンザで、このときは世界で5000万人から1億人が死亡したそうで、日本では39万人が亡くなったといいます(当時の日本の人口はおよそ5600万人)。
 スペイン風邪では高齢者の感染が多かった割には大半が生き残り、青年層に大量の死者が出たそうです。今度の新型コロナとはちょっと違うようですが、元は鳥インフルエンザの変異で、新型ウイルスも地震も予兆が見えないところが恐いです。

 しばらく前から9年前(2011年)にオリオンに書いたふる里のことを読み返しています。遠くにいてのふる里雑感で、とりとめのないメモですがあれこれが思い出されて改めて悲劇の大きさ、ふる里の大切さを痛感しています。     (3/11)

■まがき慰霊碑保存会の今年のスケジュール

 記録的な暖冬で、今年の夏やその後はどうなるのだろうと気になるところですが、
「今年は雪の降る量が極端に少なく、又気温も氷点下になる日は間垣でも何日もない、まさに極端な暖冬現象が続いた冬でした」というご挨拶とともに、第20回まがき慰霊碑保存会の報告書が届きました。
 間垣の慰霊碑は2017年10月に完成し、広大な芝生張りの敷地にたくさんの桜が植えられ、「間垣さくら広場」として整備されています。(こちら)
 今年の活動スケジュールは、まだ桜が小さくて花見行事はできないので、以下の通り、公園の清掃と草刈りや維持管理作業を中心に進められるそうです。

①3月8日(日)
 ・堤防含む広場のごみ拾い
 ・桜の木の点検、剪定、番号付け
 ・慰霊碑の清掃
②5月24日(日)
 ・堤防含む広場のごみ拾い
 ・広場芝生全面の草取り(芝より伸びている草の抜き方)
 ・広場周辺の草刈り
 ・桜の木への追肥
③7月26日(日)
 ・堤防含む広場のごみ拾い
 ・芝刈り機での芝生全面の草刈り
 ・桜の木の点検
④10月11(日)
 ・堤防含む広場のごみ拾い
 ・芝刈り機での芝生全面の草刈り
 ・桜の木の点検
※いずれも間垣さくら広場10:00集合、12:00解散。小雨決行。
 飲み物、ゴミ袋、軍手は役員会で準備。
 汚れてもよい服装で、帽子、タオル等は各自ご用意願います、とのことです。

 なお、事務局の遠藤さんが営む“まかない処 まがき”は昨年11月に民泊の許可を得たそうで、懐かしい大川、間垣の空気を吸いたい方、交流会等にぜひどうぞということでした(2部屋、最大10名様迄宿泊可能。詳細は下記まで)
 まかない処 ま が き 店主 遠藤仁雄 TEL&FAX0225-24-6237


■NKさんの思い出話 長面浦干拓計画
 
 前回2/13の項に書いた長面の従兄NKさんの思い出話のうち、長面浦干拓計画にまつわる部分を「昔語り」(こちら)のページにアップしました。
 NKさんは干拓計画を発案した永沼孝次(ナガコー)さんの3男で、大正14年生まれ。小3の頃に干拓反対の騒動に遭遇したようです。思い出には父から聞いたという干拓計画の概要も記され、なかなか興味深いです。
 計画は反対運動や資金面などで中止されたようですが、3.11まで長面浦に面して建っていたと思われる「入江湾存続の碑」は、反対運動の成功を記念した石碑だったようです。         (2/22)


■今は無人のふる里 アンバサンと入江湾存続の碑

●アンバサン

 今年もアンバサンの行事が行われたという便りを頂きました。アンバサンのことは何度かふれましたので、詳しいことは省きます。長面の祭の中でも地味な行事で、実際に通行人に墨を塗りつける行為もだんだんに遠慮するようになっているようですが、伝統の奇祭として長面の宮司さんも大切にし、地元のマスコミも毎回報じているようです。
 北野神社の宮司さんは伝統に厳格な方で、無人の長面でも各種の伝統行事をきちんと守っており、なにかで参道入口に行った時、北野神社への長い参道をお一人でブロワー(送風機)を使って落ち葉掃除をされていました。無人になった長面で「そんなに真面目にやらなくても……」と思いましたが、ひたむきな姿が印象的でした。

●入江湾保存の碑
 長面の石碑のあれこれを話し合ったときに、長面から尾の崎への塩田沿いの道端に「石碑が建っていたと思うが、あれは何の碑だった?」と思ったことがありました。
 去年の12月に、長野の穂高にいるイトコKNさんが亡くなって、一昨年の秋に会ったときに預かった『来し方の記』という草稿を改めて読んでみました。そこに幼い頃の記憶としてその碑に関連した事柄と思われることが書かれていました。
 書かれていることがその石碑に関連したことではないかと思ったのは、ジオラマづくりの記録集の長面地区の扉に「入江湾存続の碑」というのがあり、それは長面浦の干拓計画から入江を守った記念碑だと聞いた記憶があるからです。
 干拓計画が長面の永沼孝次(ナガコー)さん(故人)の発案だったことは前から聞いていましたが、KNさん(ナガコーの末息子)の遺稿にはその裏話みたいなことが書かれていました。「碑」についての直接の記述はありませんが、なるほどそういうことだったのかとうなづける記述でした。
 「入江湾存続の碑」は津波で失われたので、どういうことが記されていたのかは分かりませんが、もし干拓計画が進んでいれば今の牡蠣養殖をはじめとする漁業も、あの美しい風景もなかったわけで、歴史の面白さを感じます。いずれイトコの思い出話を「昔語りすっぺが」のコーナーにでも収録したいと思っています。         (2/13)



■長面の常盤清水、谷保の常盤清水
 羽生玄栄さんの特集のうち、「羽生凌雲が長面で暮らしていた訳」のなかに、維新後千種少将が長面を訪れ、永沼家の屋敷裏の泉を「常盤清水」と命名したというエピソードがありました。
 玄栄さんの研究をしているFSさんがお住いの国立市谷保にも「常盤清水」があるそうで、それに関するエッセーが送られてきました。特集・玄栄さんの資料編の末尾に掲載しましたのでご覧ください。(こちら)
 なお、管理人の私も4歳から小学生時代をこの「長面の常盤清水」の近くで過ごしましたので、懐かしくなってちょっと蛇足を付け加えました。(こちら)

 玄栄さんの資料編で「秋宵閑話」の原文にふれましたが、FSさんの便りには
「秋宵閑話を一通り読み終わりました。時事雑纂とは異なり、これは遺書ですね。明治32年9月に書き終わり、翌明治33年2月1日に亡くなりました。
 凄まじい執念が感じられます。病没された我が邦教君の名誉のために書き残しておきたい、と最後に書いておられます。」とありました。
 FSさんは図書館のお仕事を長くされていて、資料探索はお手の物のようです。「秋宵閑話」の原文も次のようにするとパソコンで閲覧できるようですので、関心のある方はやってみてください。
 ・東京大学史料編纂所を検索してクリック
 ・データベース検索  クリック
 ・史料の所在 所蔵資料目録データベース(Hi-CAT)  クリック
 ・キーワード:秋宵閑話を検索  クリック
 ・検索結果詳細画面で「イメージ」をクリック
こうすると106件(枚)の「秋宵閑話」原文の画像が表示されるそうです。

 また、「特集・玄栄さんのこと」では、
・「玄栄さんの京都での事、追波川と伊達水軍、永沼家とのかかわりが良く解りました。」
・「長面で桃生醫院を開いていたはず」
などの感想が寄せられています。          (02/02)


                   

■いくつかお詫びしなければならないことが
 引きつづきサイト上のデータをワードに転記していますが、その過程でいくつかの誤りが発見されたので修正しました。

●釜谷を釜屋にしていました
 まず、下に書いたように「忘しぇねがらね」の慰霊碑の写真とお名前お歳で、間垣の慰霊碑を入れ忘れていたことをお詫びしましたが、間垣のヒトボさんから「釜谷の慰霊碑」のところで、「釜谷が釜屋になってますよ」というご指摘をいただきました。ありがとうございました。さっそく見出しの部分で2か所を訂正しましたが、申しわけありませんでした。まだ他にあるかもしれません。気が付きましたら、ぜひお知らせくださるようお願いいたします。

●「大川追想」の中に消えていた部分が
 「話かたりしすぺ」の中の「大川追想」のうち、
 ・「幼き日の思い出」(かんこかなさん)
 ・「竹スキー」(松原A)
の二つが消えてしまっていました。多分昨年のサイト引っ越しの際に手違いで漏れたものと思われますが、あるいはもっと前から何か障害があったのかもしれません。
 とりあえず見られるように修正しましたので、機会がありましたら、TOPページの「大川追想」をクリックしてご覧になってください。

●音・音楽のプレーヤーが不備です
 佐々木さんの大川音頭をはじめ子どもたちの合唱や祭囃子の音が再生できなくなっています。別のサーバーに引っ越したのが原因ですが、近々、改善の方法がないかどうか検討してみます。
※ネットを見る環境によるようですが、edgeやchromeの場合はflash playerを有効にすると音・音楽が聞こえるようになりますが、もっと簡単な方法を探してみます。

 これまで拙速の書きなぐり状態だったバツですが、冊子にまとめるにあたっては少し気をつけたいと思います。校正は昔から苦手なので、あり自信はありませんけれども。
 紙の冊子はネットの画面のように、写真や図版がそれほど多くは入らないので、A5版を予定していましたが、大きくしたい地図や写真もありますので、A4版にしようかなと考えています。まだまだ先のことですが……。           (1/10)


■柄にもなく忙しかった松の内

●降順から昇順へ
 いずれオリオンが掲載してきた諸々のことをまとめてみようと思い、どんなことが書いてあったか、とりあえずこの「ふるさと風だより」を昇順に並べ替えてみました。
 「風だより」は降順(月日の順が逆)なので、ワード文書に昇順に並べ替えてみました。これはなんとか松の内1/7までに終わりましたが、作業の本番はこれからです。書きなぐりしたものを読み込んで編集にかかるわけですが、文字の量だけは相当な分量で、これを3分の1ぐらいにしたいのですが、うまくいきますかどうか。
 でも痛切に感じたことは、本当にいろいろな方にいっぱいいろいろお世話になって、さらには失礼なことを重ねてここまで続いてきたことでした。改めてお礼申し上げます。

●気が付いた間垣の慰霊碑のこと
 平成25(2013)年6月に「忘しぇねがらね」(こちら)と題して釜谷と長面の慰霊碑の写真と刻まれた犠牲者の方のお名前とお歳を掲載させていただきましたが、間垣の慰霊碑を追加するのを失念していました。
 間垣の慰霊碑については中心になって力を尽くされていたヒトボさんから、逐次ご連絡をいただいていたのに、本当に申し訳ありませんでした。「風だより」を振り返ってやっと気が付いた次第です。遅くなってすみませんが、間垣の慰霊碑の写真、それに刻まれたお名前とお歳を改めて釜谷、長面の後に追加させていただきました(こちら)ので、故人の思い出などがございましたらお寄せいただければ幸いです。                (1/7)


■あけましておめでとうございます
 何事もなく弐千弐拾年を迎えて、管理人はのんびりテレビを見て過ごしています。旧年中はありがとうございました。
 年が変わりましたので、この「風だより」も新しいページで始めようと思います。今年もよろしくお願いいたします。
●Gone With the Wind
 これは映画『風と共に去りぬ』の原題ですが、元旦に長面の敬愛する先輩から、海外に逃亡したゴーンに引っ掛けて
 「ゴーン  ウイズ ザ ウインド(風と共に去りぬ)には驚いたね。どうやって出たか、そのうち分かるかもしれぬが、遡って、帰国逮捕劇から、何かやるかと思ったが、正に映画、小説の世界だね。先が楽しみか」というメールがあり、NHKラジオのジャズ番組の予定を知らせていただきました。
 今は2日の午後、そのジャズを聴きながら新ページを作っているところです。

●オリオンのデータ整理
 震災から9年弱、おかげさまでオリオンにも様々な話題が寄せられ、10年をメドにデータを整理して冊子にまとめてみようと思いました。
 どんな話題があったか、この「風だより」を振り返るとだいたいわかるので、手始めに昨年末から年月順にワードデータに置き換えているのですが、最近のワードはやけに扱いづらくて手こずっています。
 オリオンが一度全部クラッシュしたりしたせいか、2011年の最初がどこか私にもわからなくなっていますが、ワードのデータを整理するときに修正・補足したいと思っています。
 パソコンも各種ソフトもバージョンアップするごとに扱いにくくなるのはなぜでしょう。まあ、こちらのアタマが追い付けないだけの話でしょうけど。

●テレビ漬け
 プールは休みだし東京には庭もないのでやることがなく、テレビにどっぷりつかっています。録画してあった「大和」「武蔵」「信濃」をゆっくりみたり、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝を例年のごとく眺めています。
 それにしてもテレビはオリンピック、オリンピックとうるさいことこの上ないです。競技そのものは私も期待して見ますが、オリンピックの開催なんて百害あって一利なしです。
 おかげで東北の災害をはじめ各地各種の災害復旧がどれだけ邪魔されたかはかり知れないと思います。人件費の高騰や業者探しの困難は人々の生活を困らせています。       (1/2)                  

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