『忘しぇねがらね 』2 ……「 想い出」 ある日ある時のことなど……


鈴木啓二さん 祝(いわい)さん夫妻のこと

●あの笑顔が忘れられない
 震災の5か月前、秋保温泉での古希の祝いの同期会、ケンちゃん(なぜか僕らはケイちゃんではなくケンちゃんと呼んでいた)は「まーだまだ現役だ」と胸を張って笑顔を輝かせていた。震災の5か月前でした。

 ほんとうにケンちゃんの笑顔は素晴らしい。震災の後、同級生諸氏と何度か会ったが、誰もが「あの笑顔が忘れられない」と言う。多くを語らなくとも「ンだよなあ」という共感が生まれるのです。
 個人的にはそれほど深い付き合いではなかったけど、ときおり私の兄に会ったことなど電話をくれた。秋保での宴席で、私が趣味でやっていた革工芸(?)みたいなことを話した。

 豆腐屋さんは代々の稼業かと思ってましたが、弟さんによれば「石巻で修行した後、釜屋で開業した」したとのこと。一代で大川地区の全需要を引き受ける豆腐屋さんにしたんですね。尾の崎のAIちゃん(現・日野市)からも、尾の崎の家によってくれてはお茶のみ話をしていきましたよ、という便りをいただいています。

 観音寺の総代時代に扁額を寄贈していることなどを最近知りましたが、しっかりと地域に根を下ろしていたんですね。釜屋の同級生でずっと遊び仲間だったHT君は「ケンちゃんは小さいころからしっかりもの」と言ってましたが、なるほどとうなづけます。
 HT君は小さい時の思い出をこう語っています。
「いつも遊ぶときはKT君、ケーちゃん、高橋栄夫君、山田宏一君が一緒だった」と、釜谷五人衆の名が連ねてありました。栄夫君と宏一君はすでに故人で、宏一君は呑兵衛だったよね。いまごろは三人で酒を酌み交わしているのかなあ。ともかくあの笑顔で私たちを見守ってくださいね。
          (2014年1月 同級生・長面A.I)

●豆腐屋の祝(いわい)ちゃんのこと
 啓二さんの奥さん・祝(いわい)さんも一緒に逝ってしまいました。
 「豆腐屋の祝ちゃん」といえば大川ではよく知られて、みんなに愛され方です。なぜかというと、豆腐屋さんは釜谷の診療所の前にあって、バス停がすぐ前だったので、毎日多くの人がお茶飲みに寄ったからです。
 それと民謡がたいへん上手で、啓二さんの尺八に合わせて、よく自慢ののどを披露されたそうです。
 聴きたかったですね、夫唱婦随の民謡。

*啓二さんの弟さんのお話などから。 (2014年3月 管理人)


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        オリオンの311の星 管理人:松原A
(昭和16年生れ、長面)

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