『忘しぇねがらね 』2 …… 「思い出」 ある日のことなど……
高橋淳一さんのこと
●淳一さん家族のこと
奥さんと大好きな孫3人を連れて旅立ってしまった淳一さん、想い出すことは無限にあります。
戦後、満洲から引き揚げてきて、父の実家である淳一さんのところに、三歳からお世話になり、ようやく自宅ができて離れてからも、兄や姉のいない私は、淳一さん姉兄を尊敬し、慕って、兄姉のように付き合って現在に至っています。
イトコ同士ということで、家族ぐるみで仲良くおつきあいをしていました。淳一さん夫婦、私たち夫婦の4人で映画を観に行ったり、毎年春に定義如来参拝に行き、帰りに温泉に入って楽しんだりもしました。
淳一さんは本が好きで(ジャンルを問わず)、時間があれば新聞を読んでいるとか、読書をしているとかの姿が多かったです。そのせいか話題が豊富で、話すことも大好きな、とても楽しい人でした。
奥さんの良子ちゃんは、なにをするにもテキパキと要領がよく、上手で、特に料理はプロ級で、創意工夫をし、今のNHKの「ごちそうさん」の主人公のようで、私はいつもご馳走になったり、教えてもらったりしていました。
今になっても、本屋さんに行っては思い出し、食べ物の食材を見ては思い出し、長面に行けばまだいるのでは? と思い、一緒に犠牲になった孫たち3人を含め、考えると切なくなります。
(2014年3月 長面のイトコ・昌子)
*お孫さんは凛君5歳、奈央ちゃん1歳、石井綾香さん19歳(淳一さんの長女の娘さんで当時、大好きな長面に遊びに来ていて被災されました。また、奥さんの良子さんは、管理人らの同級生HK君(2013年秋急逝)の妹さんでした。(長面AI)
●淳一つぁんと田んぼのアゼで
長面の田んぼに行ったときには、淳一つぁんと田んぼの畦に腰を下ろして、時の過ぎるのを忘れてはなし語りをしたことが何度もあったっけ。稲作りのこと、孫のこと、政治、小説、ともかく話題が多かったな、淳一つぁんは。
ボソボソ話すしぐさは自分を飾るでもなく背伸びするでもなく、人の心を慰める……。そんな淳一つぁん、好きだったね。
(2014年1月 同級生針岡KS)
●「ゆっくり話がしたかったなあ、ゼンつぁん」
なぜか私はジュンちゃんではなく「ゼンつぁん、ゼンつぁん」と呼んでいた。松原荘の同級会でも会ったはずだが、よく思い出すのは小学校の長面分校時代、ゼンつぁんちの縁側や裏庭でよく遊んだこと。
たまに父上が現れて、子供に対するとは思えない丁寧な言葉で話しかけてくれた。威厳と風格を感じる方で、何が原因かは知らないが隻腕だった。左手一本でハセの杭を地面に力強く打ち込む様子を、子ども心に畏敬の念をもって眺めていたものだ。
ゼンつぁんも子どものころからおっとりした品格を備えていて、思い出にはいつもこの父上がオーバーラップしてくる。だから大人になったゼンつぁんはちょっと近寄りがたいだろうなという印象を勝手にもっていた。
でも、長面のТN君や針岡のKS君(いずれも同級生)、それにゼンつぁんのイトコのMSさんの話を聞くと、「ちょっとシャイだけど、話好きで話題が多く、エピソードもたくさんあった楽しい人」だったという。
いま改めて「ゆっくり話がしたかったなあ、ゼンつぁん」と思う。 (2014年1月 同級生長面AI)