地図は私たちの大川村です。
大川村が近隣と合併して河北町になったのは昭和30年3月、私たちは翌年3月に河北町立の大川小学校を卒業しました。
いわば大川村最後の卒業生で、村の小学校、中学校時代のことは語りつくせないほど鮮烈に残っています。
さらに河北町は平成の大合併で石巻市に併合、故郷とは縁のない名前になりました。
でも、尾の崎から福地の間の集落と風景は昔のままに残っていて、自分の庭のように身近です。
今回の津波は大川村の大部分を襲い、大川小学校の悲劇が全国に報じられました。
また、考えられぬほど多くの住民も犠牲になりました。
このことはいずれ詳しくふれる機会があると思いますが、ともかく全国からの弔意とお見舞いに厚くお礼申し上げる次第です。
しかし、壊滅的な打撃を受けた地域については、石巻市に埋没して多くを語られることはありませんでした。
大川小学校のあった釜谷周辺は一戸を残すこともなく砂漠のようになっており、
長面は集落全体が海面に覆われ、場所によっては周囲の風景ごと海面下に沈んだところもあります。
また穀倉地帯である平地のほとんども海水に覆われています。
大半が壊滅した大川村は、いま必死で再興の道を探っているところですが、ネットを見ても大川村の情報はおろか、地図さえもありません。
このままでは故郷が歴史から消滅してしまいそうです。
私たちはもう一度、故郷のことを、人々のことを、深く思い返してみたいと思っています。
ところで、冬から春の夜空にはオリオンが輝きます。
オリオンの主要な星7個と大星雲・・・。形が大川村に似ていると思いませんか?
夜空を見上げてオリオンが見えたら、大川村を思い出してください。
有名な三ツ星の頭のあたりが釜谷で、大川小学校がここにあります。
私たちの時代、長面、福地、針岡にそれぞれ分校があり、5年生から釜谷の本校に通いました。
それぞれの集落には、それぞれ特色のある営みが代々つづき、美しい風景と人々がの笑顔がありました。
その人々の多くが、3.11の犠牲になられましたが、いま、オリオンに寄り集って、私たちを見守っているような気がします。
そんな思いで、私たちも一緒に大川村の物語をつむいでいきたいと思います。
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